最近の動向

監察医が示した臓器片は別人のものだった。 日本の司法解剖は大丈夫か。
ある事件で監察医が行ったという司法解剖の事実がDNA鑑定により覆された。
日本の司法解剖は信用できるのだろうか。背景には人員や予算をはじめとするお寒い事情がある。
先進医療の技術を使って制度を刷新すべきだ。

「保管の臓器片は別人。DNA鑑定で判明−監察医ら聴取へ 横浜地検…」。4月2日このニュースが新聞やテレビでいっせいに報じられたとき、私は「やっとここまできたか」と胸のすく思いがした。と同時に、「夫の遺体には解剖の痕跡はなかった」と訴え、警察組織を相手に7年にわたって闘い続けてきたAさんに思わず拍手を送りたくなった。

 もちろん、これで事件が終結したわけではない。今回のDNA鑑定の結果が出た後も、有印虚偽公文書作成・同行使などの容疑で告発されている神奈川県嘱託の監察医の代理人弁護士は「司法解剖して死因を心筋梗塞と鑑定したのは間違いなく、その際、臓器を摘出して保存した。だが、提出までに時間がたち、多くの標本の中から取り違えた可能性も否定はできない」(朝日新聞2004年4月3日)と、苦しい言い訳を続けている。5月14日には、司法解剖に「立ち会った」という警察官が横浜地裁の証言台に立った。彼は、監察医が心臓を取り出し、手のひらに乗せてメスで切り込みを入れていくさまなどを2時間半にわたって証言した。

 それにしても、警察に運ばれた死体は、そしてその臓器は、いったいどんな扱いを受けているのだろうか。

 私自身が「検視」に対して漠然とした不信感を抱いたのは、保土ヶ谷事件と呼ばれるこの事件がきっかけだった。1997年7月、横浜市保土ヶ谷区の路上の自動車の中でAさんの夫が亡くなっていたこの事件は、遺体を解剖したか、しなかったか、という入り口の部分で論争になった。今回、横浜地検が重い腰を上げたことによって、これまで外からは窺い知ることのできなかった「検視」や「司法解剖」の実態が少しずつ明らかにされていくことだろう。はずは保土ヶ谷事件の経緯を振り返ってみたい。

「病死」にされ自動車保険おりず

 私がAさんから初めて連絡を受けたのは事件の翌月のことだった。
「警察が、事故車を放置した自分たちの過ちを隠すため、車の中で亡くなっていた夫の死因を『病死(心筋梗塞) 』に仕立て上げたのです。しかも、司法解剖を行ったと嘘までついて…。こんなことは絶対許されることではありません。あの夜、すぐに病院に運んでくれていれば、夫の命は助かったかもしれないのに」

 Aさんはその後、交通事故鑑定の専門家に夫の車と現場の検証を依頼し、
「夫の死因は車の損傷などから見て、明らかに道路脇の電柱に激突した交通事故によるものだ」
という確信を得た。そして、翌98年9月、死体検案書を作成した監察医を虚偽検案診断書作成容疑で、事件処理に当たった警察官らを保護責任者遺棄致死容疑で横浜地検に告訴したのだ。

 97、98年といえば、神奈川県警による一連の不祥事が発覚する前である。地元警察と監察医を相手にしての訴えは、女性ひとり、よほどの覚悟がなければできなかったはずだ。
 ところが横浜地検はAさんの訴えを退け、2000年2月「嫌疑不十分」でいずれも不起訴処分とした。

 一方、Aさんは99年3月、夫の車の自動車保険を契約していた全労済(全国労働者共済生活協同組合連合会)に対して、自損事故保険金と搭乗者傷害保険金を請求する民事訴訟を起こした。「病死」にされると、自動車保険からは保険金が支払われない。しかし夫は「交通事故死」なのだから、保険金は支払われるべきだ、というのがその主張だ。「検察が警察組織を庇うのなら、自分たちで監察医や警察官を民事訴訟の法廷に呼び出し、真実を究明するしかない」。この裁判にはAさんら遺族のそんな強い意志が込められていたのだった。

本人とわかる写真が1枚もない

 2000年7月10日、東京地裁633号法廷。ついにその日がきた。

 この日、証人として証言台に立ったのは、神奈川県で長年監察医を勤めているB医師だった。彼はAさんの夫の死体検案書に「心筋梗塞」という死因を書いた本人である。B医師は、原告代理人の質問に対して、次のような証言をした。

「私は警察官立ち会いのもと、運ばれてきた死体を解剖しました。Y字切開といって、胸部の一番上から下腹部までを切開する方法です。臓器を取り出し、肉眼で病理的観察を行い、心臓はそのときに取り出し、今も保管しています。その他の臓器は組織片を切り出してから元に戻して、縫い合わせました」

 ところが、その後、裁判官に質問の時間を与えられた原告のAさんは、毅然とした態度でこう詰め寄ったのだ。

「いいえ。私はその夜、夫の遺体を見ましたが、おなかには解剖された痕跡は全くありませんでした。そのことは、息子を初めとする葬儀社の方など、複数の人が目撃しています」

 その瞬間、なんともいえない緊張感が法廷の中に張り詰めた。

「警察官立ち会いで解剖した」
「心臓は今も保存している」
と証言する監察医が目の前にいるのに、遺族は「遺体に傷はなかった」
と断言しているのだ。

 遺族は当初、B医師から「頭部も解剖した」という言葉を聞いたと主張しているが、B医師はそれにつても「ちゃんと解剖した、とは言ったが、頭部を解剖したとは言っていない。解剖しなくても頭蓋骨内出血は完全に否定できたので、遺族感情も念頭に置き、なるべくもとの姿でお返ししたいと思った」と、証言台で全面否定した。そもそも頭部を解剖しなかったことは司法解剖の基本に照らして考え難いことである。

 法廷では、さらにB医師の「解剖した」という主張を裏付ける証拠の有無についてやりとりが続いた。まず、解剖中の写真はあるのか。もし、1枚でもAさんの夫とわかる写真があれば、一目瞭然で遺族の主張は覆されるはずだ。しかし、B医師は「心臓そのものの写真は撮ったが、身体を写し込んだものは1枚も撮っていない」と答えた。

 さらに、もうひとつの疑問点が浮かび上がった。B医師は午後7時40分から8時40分まで約1時間にわたって解剖を行ったと証言した。一方、Aさんは、午後7時ごろには夫の死因は「心筋梗塞」だったと聞かされ、午後8時20分には遺体が自宅に運ばれてきていたと証言する。

 いったいどちらが本当なのか。ここまで両者の主張が食い違ってくると、事が事だけに、私は驚きを通り越して恐怖すら感じた。

 しかし、立証の手段はまだ残されていた。それが冒頭のニュースとなったDNA鑑定である。保管されている心臓さえ証拠提出されれば、それがAさんの夫のものであるかどうかはっきりする。Aさんの代理人は法廷でこうたずねた。

「心臓を証拠としてだしていただくわけにはいかないのでしょうか」

 B医師はこの質問に対して、さまざまな言い訳を述べ即答はしなかったが、最終的に
「検察からの指示によって法的な手続きがとられれば提出する準備はある」
と答えた。もし、解剖したのが事実なら、B医師から進んで提出すべき証拠だが、遺族から見れば、出せる心臓などないはずだった。

 それでも、01年4月、「心臓」の一片が横浜地裁に提出された。腹部に全く傷のなかった遺体を見ている遺族にとっては、その時点で、臓器片が、「別人」のものであることはわかっていた。「臓器片は本人のDNA型と矛盾する」という今回の鑑定結果も予想通りであったのである。

 それにしても、恐ろしい話だ。警察と監察医がスクラムを組めば、密室でどんな「死因」でもつくれることになる。実際に、B医師に百体近く検案を依頼したことがあるという元警察官は私にこう話してくれた。
「少なくとも私がB先生のところに運んだ死体で、解剖までいったケースは一度もありませんでした。ほとんど死体を見ないこともありましたね。先輩警察官は『死因や死亡推定時刻をこちらの言うとおりに書いてくれるので便利なんだ』とよく話していました。留置場の中で死人が出たときなどは、後が厄介ですから、実際の死亡時刻をずらしてもらうわけです。今回のケースはおそらく氷山の一角だと思います。」

 実は、交通事故と自動車保険について長年取材してきた私の元には、家族を失った遺族から「検視の結果にどうしても納得できない」「なぜ司法解剖してもらえなかったのか」「事故死ではなく、誰かに殺されたのではないか」といった悲惨な声が多数寄せられている。かけがえのない家族の最期の「真実」に納得できず、苦しんでいる人がいかに多いことか。

 99年に長男(当時16)を亡くした北海道案山子別町の木村富士子さん(46)は、「交通事故による頚椎骨折」という警察の検案結果に納得できず、遺体の写真を公開して、広く情報や意見を求めた。その結果、複数の専門家から死体検案書の記載に疑問の声があがったため、昨年、「被疑者不詳の傷害致死事件」として北海道警察本部に告訴。現在、釧路方面本部が再捜査している。

 98年、愛知県瀬戸市で陶芸家の辻野規美さん(当時24)が死亡したケースでは、死体見分すら行われず、死亡原因や傷害部位の特定もされていなかった。愛知県警本部は今年4月、初動捜査の粗略さとずさんさを認め、遺族に対して正式に謝罪している。

江戸時代へタイムスリップ

 こうした実情を裏付ける法医学者の証言もある。千葉大学医学部法医学教室の岩瀬博太郎教授はこう言う。
「医師が専門家としての適切な判断能力を生かすことなく、よく言えば無難に、悪く言えば警察の言うとおりに検案書を書かされているケースは少なくないと推察されます。本来、死体検案では、医師は専門家として、きちんとした意見を警察に述べることが要求されているのですが、実際は、検査手段を与えられているわけではありません。たとえば、死亡原因が腹部を蹴られたことによるものの、外傷が見当たらないというケースが医学的にはありえるのですが、現場と関係者の供述などから『異常なし』と判断された場合、警察から医師に対して『犯罪性はありません』と伝えてきます。そうなると、医師はさまざまな検査や解剖を行いたいと思っても、できません。しかたなく正直に『死因不明』と死体検案書に記載すると、警察からクレームの電話がかかってきたりして、後の対応が大変になったりもします。その結果、心筋梗塞などの無難な診断名をつけざるを得ないことも多いのです。日本では、生きている間は先端医療を受けられますが、いざ心臓が止まると、江戸時代、明治時代へタイムスリップしてしまうんです」

 岩瀬教授自身、過去に内科医として検案に立ち会った時、同様の体験をしたことがあるという。つまり、日本では警察が犯罪性がないと判断した死体は、たとえ医学的に死因不明で、その裏に犯罪や事故が隠れている場合でも、解剖されずに処理されてしまう可能性が高いということである。一方、保土ヶ谷事件のように、解剖の痕跡や客観的証拠がないにもかかわらず、解剖所見を出すという「奥の手」もあるとなれば、我々国民は何を信じてよいのかわからなくなる。

 現在、日本の死者数は年間百万人弱。世界保健機関(WHO)の98年の調べによると、死者のうち解剖を施した割合を示す剖検率は、訪米諸国が20〜30%に達するのに対し、日本では3.9%にとどまっている。

 欧米諸国では、死因不明の遺体を合理的な必要性に応じて解剖できるような体制が整っているのだ。また別の法医学者が語る。

「留置場の中で死亡した人を解剖しない国は、おそらく先進国では日本だけでしょう。たとえば、フィンランドは人口500万人に対して法医学専攻の医師が約30人。解剖の基本ノルマは1人年間350体です。法医学者には秘書や検査技師がつき、さまざまな環境が整っているため、このような数の解剖ができるのです。私が日本の法医学会に身を置いて一番驚いたことは、この『業界』全体の前近代的性格です。警察権力を盾にここままの状態が続くのでしょうか」

 日本は人口1億2千万人に対し、法医学専攻の医師は150人にすぎない。変死体の数は増える一方なのに、解剖は量的に頭打ちの状態になり、チェック機能もあいまいだ。

 これには当然、解剖費用の負担の問題も大きく影響している。

 日本では、病理解剖は病院が、司法解剖は国が、行政解剖は都道府県がそれぞれ負担する。警察法施行令には、国が司法解剖の検案・解剖の委託費と謝金を払うと書いてある。ところが、現在、司法解剖に支払われる金は一体につき7万円で、検査費としての公式な委託費は出ていないという。

 岩瀬教授は言う。 「性格に死因を判定するには数十万円は必要です。7万円で解剖を行っていたら大赤字となります。事実、そのため、千葉大学の法医学担当医師は減員されてきました。こうした現実が解剖による死因確定が日本できちんと形成できなかった大きな要因です」

実際にCTで検視・検案

 岩瀬教授らの研究室は今年1月、千葉県警と協力して、実際に自動車に搭載したCT(コンピューター断層撮影)で変死体を断層撮影して回る試みを行った。CTは医療ではおなじみの検査装置で、体を輪切りにした映像を撮影できる。コレまでの指定の内部をチェックし、死因の特定や解剖の必要性の判断に役立てようというのである。CTならば簡単で経済的なうえに、とあえず解剖に抵抗のある遺族の気持ちにも沿うだろう。この試みの研究結果は、札幌市内で今年6月11日に開かれる日本病理学会総会で発表される。

 しかし、死体をCTで撮影することはまだ一般的ではない。

 今年1月「オプトシー・イメージング(Ai)学会」(http://plaza.umin.ac.jp/~ai-ai/)の設立総会が放射線医学研究所(千葉市)で開かれた。Aiとは、解剖という検査を「死体から医学情報を引き出す検査」に発展させることにより、死体に対する画像検索を普及させようという、社会インフラ整備まで視野に入れた新しい概念なのである。

 同学会発起人の1人、同研究所・重粒子医科学センター病院の江澤英史医長は、解剖前の死体に画像診断を行う意義についてこう語る。

「これまでは剖検(=解剖)により失われる遺体の全体性を客観的情報として保存する手段がありませんでした。また、剖検を施行するとすると、本来なら剖検検索していない部位は言及できないはずなのですが、あたかも全身くまなく検索されているかのような錯覚を生みます。Aiを施行すれば、遺体の全身情報を確実に保存でき、医療監視や司法解剖に対しても有効に機能する可能性も示しています。医学的観点から見ても社会的要請という観点から見ても、剖検の進化のために、Ai導入は合理的解決だと考えられます」

 Aiは、もともと医療的な側面が強いものだというが、こうした考え方が日本医療の現場に浸透すれば、司法検視・解剖の世界も確実に変わるだろう。

岩瀬教授は語る。
「少なくともCTやMRI(磁気共鳴断層撮影)などの非破壊的な画像診断検査と尿や心臓血を用いた薬物スクリーニングを行い、解剖が本当に必要ないかどうかはっきりさせる必要があります。そもそも、頭を解剖せず、写真もないような解剖を司法解剖であると、捜査・司法当局が認定してしまっていいのでしょうか。国には、司法解剖や死体検案における解剖部位、検査項目、検査施設、人員配置の法制化、またはガイドラインの作成、そして十分な予算が求められます。」

© 柳原 三佳