1.証拠の品は保管する。
事故車や事故の時に被害者が身につけていた衣類などは、事故が解決するまで保管しておいてください。
2.事故現場、あらゆる痕跡の写真を撮る。
路面に残されたスリップ痕、散乱物、事故車、現場の全景など、とにかくあらゆる角度から、写真を何枚も撮っておきましょう。
3.目撃証言をできるだけ早く集めておく
『人の五感を経由した材料に頼るな、その安易さが技術力の進歩を阻害し、誤らせる。人は誤りを犯すが、ものは誤ることができない』(交通事故鑑定人・駒沢幹也氏)
交通事故鑑定とは
交通事故は、人と車と環境の合作です。そのうち、「衝突」とは純粋な物理現象であり、偶然や例外の入り込む余地はありません。結果があれば、必ず原因がある。結果が四角ならば原因も必ず四角であり、決して丸いものではあり得ません。
たとえば、車同士がぶつかると、それぞれの車体になんらかのキズがつきますね。そのキズは、車と車の間で明らかに干渉のあった証拠です。どういう衝突をしたのかということは、たとえ事故の瞬間を見ていなくても、そのキズを見ればほとんど分かる。ひとつひとつの損傷には、損傷を作ったもの同士の位置や形状、働いた力の大きさから、その動き方まで、克明に保存されています。いずれも衝突の直接の結果であり、真実そのものです。
つまり、真実をつかむためには、現場や事故車に残された「痕跡をよむ」ことから始めなければならない。これが交通事故鑑定の鉄則なのです。
具体的に言うと、ブツ(車)とブツの関係は、車のキズでよみ、現場とブツの関係は、タイヤ痕でよむ。 たとえば、A車とB車がどのような状態でぶつかったのかを調べるとしましょう。A車のバンパーがB車の後部に衝突したことは、キズのかたちから間違いがありません。肝心なのはその次です。もし、B車のキズの地上高が、A車の通常のバンパーの位置より低かったら、それは何を意味しているか分かりますか? 車の姿勢が通常より低くなっているということは、その車がブレーキを踏んでいるか、ハンドルをきっているかのどちらかなのです。つまり、A車は衝突の瞬間、ブレーキやハンドル操作をした可能性が大ということになります。
なぜ、ブレーキをかけると車首が沈むのかというのは、物理の法則によるものですが、すべての損傷からそのときのキズを捜し出すのは、調査の職人の技なのです。
路面に残されたスリップ痕だって、何も知らずに観察していると、みんな同じような黒い線に見えますが、もう一歩踏み込んで、その模様にまで気をつけてみると、実はいろんな種類があるものです。
まず、急ブレーキをかけてタイヤがロック状態になったときにできるのは「ひきずり痕」といわれ、縞目が縦に入っています。タイヤが回転しているときに急なハンドル操作をしてできるのは「転がり痕」。こちらは縞目が横になっています。この違いが識別できるだけで、そのとき運転者は、ブレーキをかけていたのかどうかがわかるわけです。
さらにスリップ痕をよく観察してみると、衝突地点には「異状な曲がり」を含む「衝突痕」が残ります。つまり、事故直後の事故検証では、そういう細かい痕跡を決して見逃してはいけないわけです。
多くの遺族は、事故の真実を知りたいと思っているものですが、同じ衝突事故でも、
「最後の瞬間まで、息子は必死に衝突を避けようとしていた」
ということが分かれば、それだけでも遺族にとっては大きな救いになるのです。
非科学的な実況見分調書
それにしても、今の警察の交通事故捜査は、なさけないほどいい加減ですね。たとえば、スリップ痕には種類があり、そこから車の動きがわかるということを、どのくらいの数の警官が知っているでしょうか。また、事故車や被害者の衣類といった重要な証拠品は、事件が解決されるまでは最低限保存しておくべきなのに、簡単に処分してしまうケースが多すぎます。
実況見分のときに撮影する事故現場の証拠写真も、私に言わせれば「やじ馬写真」にすぎません。たとえば、車から勢いよく火が出ているところや、車が派手にひっくり返っているところなんかを一生懸命撮ったりして、まるで「新聞ネタ」になるような写真が多すぎるのです。
彼らは、本来「キズを読むこと」を目的として撮影しなければならないのに、それがまったく徹底されていません。事故直後の現場の状況や、事故の真相を解明するために役立ちそうな写真が、本当に少ないのです。だから、簡単に解明できるものもできなくなってしまう……。 まあ、今の警察にそれができないのも、ある意味では仕方がないのかもしれません。なぜなら、交通事故というものは、れっきとした物理現象なのに、彼らはそれを物理現象として解析する方法をほとんど教わっていないからです。彼らは気づいていないかもしれないが、警察官の職能の中には、知らぬうちに物理的な領域が入り込んできています。少しでもいい、物理運動の解析にはなにが大切で、残された証拠のどこに目を付けて調べればよいのかという知識をつかんでいれば、事故捜査や実況見分調書のまとめ方は、まったく変わると思いますね。
実際に、今の実況見分調書というのは、ほとんど当事者の言葉によって作られています。
確かに現場見取り図には、スリップ痕や車の停止位置、落下物など、客観的な情報も入っていますが、事故の直前に時速何km/hで走っていて、どの地点で相手を発見したとか、どの地点でブレーキをかけたとか、どのあたりでぶつかったか、といった情報は、すべて当事者が記憶に基づいて話していることにすぎません。
事故を経験したことがある人なら、おそらくわかるはずです。本当は事故の瞬間のことなどほとんど分からないのに、警官に質問されるまま、細かい数字まで答えざるを得ないという状況を。
また、万が一、自分が加害者になってしまった場合、あなたは自分の車がどのくらいの速度で走っていたか、正直に話す勇気があるでしょうか。
たとえば、制限速度40km/hの道路を、実際は70km/hくらい出して走っていた。そして、横断中の歩行者に衝突してしまい、目の前でその人は血を流して倒れている……。
そんな緊迫した状況の中で、警官に、
「おまえは今、何km/hで走ってたんだ?」
と聞かれたとき、いったいどれだけの人が正直に、
「70km/hで走っていました」
と答えるでしょうか。おそらく多くの人が、実際に出していた速度より、10km/hか20km/h少なめに、つまり、自分に少々有利になるような証言をしてしまうのではないでしょうか。 しかしこれは、人間なら誰にでもある自己防衛の本能だから仕方がないと思います。悪気がなくても、つい自分をかばってしまうものなのです
また、実況見分調書には、現場にたまたま居合わせた目撃者の証言もよく登場しますが、あの証言の信憑性についてもおおいに問題があると思いますね。
たとえばあなたは、2台の車が接近し始めた段階から衝突に至るまでの動きを、連続して目撃したことがありますか?
ほとんどの場合、大きな音がして振り返ったら、両方の車が「離れていく」状態を見たのではないでしょうか。あるいは、どちらか1台の車を見ていたのではないでしょうか。
つまり、「車と車が衝突した」という事実は証言できても、その直前の動きは想像でしか分からないはず。そんな状況で、目撃者として正確な証言をするのは、とても難しいと思うのです。
ところが、そんなあやふやな証言も、一度調書に書かれてしまうと、れっきとした捜査書類として一人歩きを始め、検察官も裁判官もそれをもとに刑事処分を決定し、保険会社もこれらの書類を正しいものという前提で過失割合を決めてしまいます。そして結果的に、事実と大幅にくいちがっていたことが判明したり、裁判の長期化を招いたりということになり、交通事故の当事者は、思わぬ苦労を背負い込むことになってしまうわけです。
理想をいえば、警察内部に事故鑑定の教育を基礎から受けた専門職のセクションを新たに作るべきです。そうすれば、証拠や証言をめぐるトラブルも減らせるし、保険金目当ての偽装事故なども、確実に見分けることができるはずです。
偽装事故の不自然な痕跡
これまで私は、いろんな事故や事件に遭遇し、鑑定をおこなってきました。事故の形態は実に複雑多岐で、一見、同じように見えても、まったく異質な事故であることは珍しくありません。
たとえば、同じ出会い頭の衝突でも、双方ともブレーキをかけている場合と、双方ともブレーキをかけていない場合があります。また、雨が降っていたり、衝突の直前に急ブレーキをかけた場合には、ブレーキを踏んでいても痕跡が残らないことがあります。まあ、そんな場合でも、キズの高低や傾きによって識別することはできますが。
また、交通事故といっても、偶然に起こった単純なものばかりではありません。保険金目当ての偽装事故、警察の検証ミスで被疑者と被害者が取り違えられた事件、また、単独で起こしたと判断されていた事故に、実はまったく別の真犯人が潜んでいたこともありました。そうそう、交通事故に見せかけた殺人や自殺なんていうのも少なくありません……。
しかし、どんなに複雑な事故でも、現場や事故車など、証拠の保存状態さえよければ、かなりの確率で事故の真相を突き止めることができるのです。わざと起こした事故には、必ず不自然な痕跡があるはずなのです。
以前、私が鑑定を依頼された中に、こんな事故がありました。大人の男性四人が乗った軽自動車が、交差点で後ろから乗用車に追突されて、全員むち打ち症になったというのです。彼らは相手の車にかかっていた対人保険をはじめ、自分たちが加入していた複数の生命保険会社などから、治療費や慰謝料など、すでに2000万円の保険金をもらっていました。そして最後に、自分たちの乗っていた軽自動車の任意保険に搭乗者傷害保険金を請求しようとしたのです。
実はその時点で、私に鑑定の依頼がきたのですが、この事故の場合は、事故車をひとめ見てすぐに真相が分かりましたね。追突された軽自動車の後部には同じようなへこみがボコボコボコと3つのグループに分かれてできていたのです。
実は、このような損傷は、1回の偶発的な衝突だけでは絶対にできないものなのです。事故前の軽自動車には、まったくへこみがなかったということでしたから、この損傷は、明らかに他車と3回当たってできたものだということがわかりました。しかもごく緩い力でね。
つまり、この事故は、後ろの車と共謀して仕組んだ偽装事故だったというわけです。キズの高さから見て、追突された軽自動車の中には、人は誰も乗っていなかったことがわかりました。つまり、大人四人が軽自動車に乗れば、その重量で車体は沈みますね、しかし、キズの高さは明らかに空車の状態でぶつかったものだったのです。
結果を知った保険会社の人がそのことを軽自動車に乗っていた人に尋ねたのですが、なんと、翌日、全員姿をくらましてしまいました。保険会社もあきらめてそれ以上追いかけないし、警察ももちろんその事実を犯罪としてつかんでいないからそれっきり。こういう事故は、一般のドライバーが想像している以上に、多発しているんですよ。
つまり、ある種の人間にとって、交通事故は完全な資金源となっている。でも、それが簡単にできてしまうというのは、現場に駆けつけて検証する警察の目が節穴だからです。キズをよむコツさえつかんでいれば、すぐに見破れるようなものに、現実にはどれくらい無駄な保険金が支払われているか……。
このようなずさんさが、もっと大きな死亡事故などでも尾をひいて、取り返しのつかない混乱を招いてしまうわけです。
私が今、取り組んでいる死亡事故の中に、本当は追突されたのに、正面衝突だったとして処理されているものが2件あります。遺族が大切に保管してきた事故車のバイクには、正面衝突の痕跡などまったくなく、追突を裏付ける証拠は完璧に残されていました。これらはまさに「死人に口なし」で、生きている当事者が、一方的に死者に事故の過失を擦り付けた、許しがたい事例です。
亡くなったのは、いずれもバイクに乗っていた若い男性でした。どちらの事故も警察の初動捜査で、「バイクのセンターラインオーバーによる正面衝突」と判断されてしまったため、遺族は事故から数年たった今も、損害賠償を満足に受けることができない状態です。それ以前に、残された親は息子の名誉回復のために必死の思いで闘っています。そういう気の毒な姿を見ていると、なんとかして真実を明らかにしてやりたいと思いますね。
それにしても、なぜこんなことが起こってしまうのか。なぜ、警察は一方の当事者の言い分だけを鵜呑みにしてしまうのか?
それはきっと、現場に駆けつける警察官たちが、科学的な技術で捜査をしているのではなく、人間の感覚というもので捜査しているケースが多いからだと思います。もちろん、彼らは意識して「公平に、公平に……」と仕事をしているけれど、現場に駆けつけたとたん、すぐに事故の状況を自分の頭に中でつくって、もとの意識には戻れなくなってしまう。まあ、警察に限らず、誰にでもそういうことはあると思いますがね。
たとえば、現場に駆けつけたときの第一印象が、「ああ、バイクの野郎が飛ばしていやがったんだな」というものだったら、それだけで、なんとなく事故の状況を頭の中に思い描いてしまいます。おまけに、乗用車の中からまじめそうな40代の男性が降りてきて、「バイクがものすごいスピードで、いきなり突っ込んできまして……」と説明を始めたら、「やぱりそうか」ということになっていく。
そして今度は、現場に残されたブレーキ痕や、その他いろんなものを調べているうちに、「これは何のキズだろう?」という悩みにぶつかります。しかし、その答えがわからなければ、結局、最初の印象が尾を引いて、「バイクが暴走していた」「バイクがセンターラインをオーバーした」という方向に結びついてしまうのではないでしょうか。
今までにも、現場に駆けつけた警察官の偏見や先入観に左右され、たいした調査もしてもらえずに真実を曲げられたかわいそうな事例を、私はいくつも見てきました。しかし、一度警察によってかたちづくられた事故の状況をくつがえすことは、本当に大変なことで、時間とお金をかけて裁判をしても、100%勝てる補償はどこにもないのが現状です。
そこで、万一事故にあったら、とにかく、寸刻を惜しんで、証拠の保全に全力を傾けてください。だれでも事故を起こすと気が動転し、どうしたらよいのかわからないものですが、交通事故の証拠は、時間と共に急速に消滅していきます。ただおろおろしているだけでは、何の解決も得られません。
証拠の保全とは、事故の痕跡を写真に撮ったり、現物を保管できるものは良い状態で保管しておくことです。たとえば、現場にタイヤ痕が残っている場合は、位置や形状がわかるように何枚も写真を撮ります。背景に電柱や建物を写し込むことで、後から位置が特定しやすくなるので、工夫してください。特に衝突地点には、衝突を示す形状の痕跡が残っているので、注意して見てください。
また、ガラスや車の部品の落下位置、車の停止位置や角度などは、あっというまに消滅してしまうので、早めに抑えておかなければいけません。
続いて、相手の車の損傷。スクラップにまわされる前に必ず探し出し(できれば警察署に領置されている間に)、「これは!」と思うキズは、角度を変えて接写するなど、とにかく多くのアングルから撮っておいてください。これらは一旦人手が加わると、二度と手に入らない大切な証拠なのです。
もちろん、被害者が事故のとき身につけていた衣類や靴、ヘルメットなども、決して処分してはいけません。目にするのがつらいと言って、早々と焼いたり捨てたりする人も多いようですが、これらには多くの手がかりが残されており、おもわぬ新事実が浮かび上がることもあるのです。ですから、できる限り事故が解決するまで残しておくことです。
特に一方の当事者が死亡した場合や、重傷で記憶を失った様な場合には、現場の痕跡や車体の損傷(物証)に事実を語らせ、解読する以外には、恣意的に事実を捏造する可能性のある生存者に、対等に対抗する手段がないのです。
警察が、公平・公正に事実を見極め、処置してくれるはずだというような他力依存は、ほとんどの場合に必ずといってもよいほど、後日に悔いを残します。警察は遺族にさえ、どんな事故だったのか、相手はどう説明したかということすら教えてくれません。「警察は警察、自分は自分」と割り切り、万が一の場合に備え、自力で対抗できる手段を必ず確保しておかなければなりません。
人は嘘をつくけれど、ものは決して嘘をつかない……。反論する術を失った被害者の代わりに真実を語ってくれるのは、事故の痕跡しかないのです。