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交通事故被害者は二度泣かされる

著者:柳原三佳
定価:本体価格1600円+税
年々、悪質化する交通犯罪。警察のずさん捜査も手伝って、事故後もなお苦しみ続ける人々。最愛の肉親を突然奪われた人、深刻な後遺障害に苦しむ人、死人に口無し、入院中の負傷者は証言もできず、加害者証言だけで罪を着せられてしまった人…
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●書評 読売新聞 06年1月8日

記者の駆け出し時代、交通事故の記事は毎日のように書いた。だが、被害者の感情を思いやる余裕はほとんどなかった。発生件数が多く、機械的に出稿せざるを得なかったのだ。ところが、本著を読んでそんな姿勢を深く恥じた。事故の裏側で生じている深刻な問題を、見せつけられたからだ。
本の題名の「二度泣かされる」とは、被害者が事故そのもので痛めつけられ、その後の加害者の態度、警察の不十分な事故処理、損害保険会社の仕打ちなどに、ひどい目に遭わされる、ことを指している。
次のような事故が典型だ。原付きスクーターを運転中の青年が、酒酔い運転のワゴン車に追突され、死亡した。ワゴン車の運転手は事故直後に逃げ、近くのコンビニで酒を重ね飲みしたため、酒酔いの事実の立件が難しくなり、裁判が難航する。読んで息苦しくなる悲惨な例が続く。交通事故撲滅に本腰を入れなければならない。そう思わせる本だ。(榧野信治:読売新聞論説委員)

●書評 出版ニュース 06年1月

交通事故というよりは交通犯罪と表現した方がよいような事故が増加している。飲酒運転のあげく歩行者を重度の障害者にした加害者と、被害者の両親に警察署長や国会議員に知り合いがいると言い放つ加害者の父親や、赤信号で交差点に進入してバイクの青年に重傷を負わせても、信号は青だったので過失はないと主張し続ける加害者。さら誹謗する手紙を出す加害者、そしてその手紙を検閲パスとする当局。そのうえ加害者が公務員と知ると公務員側をかばってしまう警察の捜査。本書は、このような理不尽な出来事を集めたもので、これが今の日本の交通犯罪の現実かと思うと暗澹たる気持ちになってくる。

●書評 図書新聞 06年3月18日

誰もが被害者になりえ、加害者にもなりうる理不尽な事態がさらに加重化されて、被害者やその近親者を悲痛な状況に置きつづけている交通事故
病気や天災による災禍は、納得しきれないものはあるとしても、時間の経過がある種の諦観を招き寄せる。だが、事故災害のなかでも、交通事故だけは、絶対に承服しきれるものではない。なによりも、車の故障や欠陥、道路事情の不備といった要因も考えられるが、大部分は加害者の無謀かつ理不尽な行為によって引き起こされる人為的なものといっていいからだ。車が走行する道路は、絶えずそのようなものを発生させる場所だとしたら、それは異常な事態というしかない。歩道を安心して歩ける(あるいは、安全運転していれば大丈夫)という保証すらないのだったら、この社会から車類の一切を廃絶する以外にないが、そんなことはありえない。
本書で取り上げている事例は、そのような理不尽な事態がさらに、加重化されて被害者やその近親者を悲痛な状況に置きつづけていることが記述されている。著者は、そのような状況を、「交通事故の『二次的被害』」と捉えて、その事由を、「警察や検察のずさんな捜査」、「損保会社による一方的な過失の押し付けや払い渋り」、「自賠責保険査定制度の不透明さ」、「誤った判決を書く裁判官」などによって、考えられないような事態へと転換されていることを、取材を通して明らかにしている。
なんといっても、際立っていえることは、杜撰な捜査によって被害者側にも非があるとされていく場合だ。被害者が亡くなったり、重傷で供述できない状態の時、一方的に加害者の供述によって調書が作成されていくというものだ。例え目撃者がいても、それすら無視されたり、捏造されたりして加害者に優位になるかたちになっていくという、信じられないことが現実的に起きていると著者は述べている。
「交通事故をめぐるトラブルの多くは、警察による初動捜査の甘さが発端になっている。『甘さ』といってもそのレベルは、単純な『捜査ミス』から『調書捏造』という犯罪行為までさまざまだが、一度調書に書かれた事故内容を覆すことはいずれの場合も非常に困難で、当事者やその家族は長い年月苦しんでいるのが現状だ。」(「第3章 誤捜査はなぜ起こるのか」)
「日本の警察が『捜査の秘密』という言葉を盾にし、公道で日常的に発生している交通事故の調書まで隠さなければならない理由…、それは、言い換えれば『見せる自信のない非科学的な調書』を作成しているからではないか。」(「第4章 事故の真実が知りたい」)
さらに、加害者が公務員の場合、正式起訴率が一般市民と大きな差があることも、『犯罪白書』で示されているという。それは、何を物語っているかは明らかだ。さらに類推すれば加害者自身やその家族が、警察に何らかの働きかけができる立場にあれば、圧倒的に被害者が不利になっていくこともありうるといっていいはずだ。
また、著者は、ここ数年「ひき逃げの件数」が急増していることや、その「検挙率」が低下していることを例示している。「ひき逃げ」を「車社会における『重要凶悪犯罪』」(「第1章 悪質化する交通犯罪」)だと断じている。こうなれば、交通事故ではなく確かに、「犯罪」だ。
本書の事例に接し、暗澹たる思いを抱かざるをえなかった。だが、車社会におけるモラルやルール遵守を声だかに主張しても、それを認識し、実行するのは一人一人の個人の意識に委ねる以外にない。刑罰を重くする、免許取得を厳しくしていく、といったことが、いくらか有効性を示す方途かもしれないとしてもだ。
十五年にわたって交通事故をめぐる記事を書き続けてきた著者は、「車のハンドルを握って公道に出るということが、どれほど責任の重いことであるか、(略)社会全体でもっと真剣に考えていかなければならない」(「あとがき」)と述べる。誰もが、被害者になりうるし、加害者にもなりうるのが、交通事故という実際なのだ。だからこそ、「悲惨な交通事故の軽減と二次被害の撲滅」をテーマとして追い続けている著者の「仕事」を、わたしは全面的に支持したいと思っている。
(フリー・ジャーナリスト 宗近藤生)

●書評 しんぶん赤旗 05年11月14日「潮流」欄

…交通事故は、人の運命を一瞬にしてくるわせてしまいます▼きのう、滋賀県の名神速道路で起こった事故は、7人のいのちを奪いました。乗用車、トラックやバスが複雑にからみあって追突、衝突し、ついには大型トラックが人の集団につっこむ。現場の高速道路は、さながら戦場のようです▼交通事故の死者のうち、9割近い人が24時間以内に亡くなっています。04年に7,358人(警視庁調べ)。ノンフィクション作家の柳原三佳さんは問いかけます。国も報道機関も、最近は死者が8,000人をきったと、まるでおめでたいことのようにいうが、彼らは「数字の裏側」を知っているのだろうか、と▼つまり、「命は助かったけれど一生涯重い後遺症を背負って生きていかなければならない被害者と、人生を大きく狂わせられた家族が無数に存在するということを」(リベルタ出版『交通事故被害者は2度泣かされる』から)▼飲酒事故に対する罰をきびしくしたものの、発覚をおそれてのひき逃げがふえた現実もあるそうです。車は、いつ交通戦争の凶器に変わるか分かりません。

●書評 しんぶん赤旗 06年3月26日(「ほんだな」)

長年交通事故を取材してきた筆者。悪質な「交通犯罪」だけでなく、警察のずさんな捜査や、損保会社の一方的な過失の押し付けや払い渋りなど二次、三次に苦しめられる被害者。彼らの悲しみや憤りに寄り添い、理不尽とたたかう中から、日本の交通事故捜査や道路行政の問題点を明らかにしています。アメリカやドイツの交通事故捜査のルポも興味深い。

© 柳原 三佳