文科大臣が国会で涙の答弁。立憲・新人議員は、初質疑で何を語ったのか‥‥
2025.3.20(木)
2025年3月18日に開かれた衆議院の文部科学委員会。この日、立憲民主党の新人議員・眞野哲(まのさとし)氏がおこなった質疑に対し、答弁に立った文部科学省のあべ俊子大臣は、感極まった様子で嗚咽をこらえながら、何度もハンカチで涙をぬぐいました。
続いて、こども家庭庁・内閣副大臣の辻清人氏も冒頭、沈痛な面持ちで眞野氏に哀悼の言葉を投げかけ、答弁をおこないました。
相手の気持ちを思いやる姿勢と、人間味あふれるやりとり……。取材をきっかけに、14年にわたって眞野氏の苦悩の道のりを見てきた私は、この日の国会でのやりとりに、込み上げるものがありました。
<筆者が眞野氏を取り上げた記事>
息子死なせた加害者、全財産は7000円 謝罪も賠償もないまま母国へ…(柳原三佳) - エキスパート - Yahoo!ニュース
では、いったいどのようなやりとりが行われたのか。以下、衆議院インターネット中継のページの動画と質疑応答の文字起こしを、ぜひご覧いただきたいと思います。
(*9時32分から始まる眞野哲議員の質疑です)
【立憲民主党国会情報のX】
https://x.com/cdp_kokkai/status/1901889551926493310?s=46&t=AtoZcxvZ7YXM94S3SQE9VQ
3月18日の国会で質疑を行う眞野議員(衆議院インターネット審議中継より)
■「もう手の施しようがない」医師からそう告げられて…
●眞野哲議員(00:52:00~)
立憲民主党・無所属の眞野哲でございます。私も、昨年の選挙で初当選しまして、今回が初質疑となります。質問の機会を与えてくださいまして、心より感謝申し上げます。先ほど大臣と少しお話をさせていただきまして、大臣から「私たちは敵じゃないからね、一生懸命頑張りましょう」とおっしゃっていただきまして、とてもありがたい思いがあります。大臣、一緒に頑張りましょう。
私は3人の子供を育ててまいりました。
長男が19歳のときに、自転車に乗って横断歩道を渡っていたところ、夜間、ライトを消して一方通行を100キロで逆走した車にはね飛ばされました。
長男は、教員になる夢があって、大学に通っておりました。その運転手は外国人で、母国でも日本でも一度も免許を取ったことのない運転手。そして、大量のお酒を飲んだ飲酒運転です。いわゆる無免許、飲酒運転ですね。その車は無車検、無保険です。実は、その事故の前に衝突事故を起こした逃走中の出来事でした。
私は、病院に駆けつけて息子を見たとき、ドクターから「もう手の施しようがない」と言われまして、思わず長男を抱きかかえたところ、頭がどうも陥没しているような状態で、私は、息子の脳みそというんですかね、触ってしまった……。多分、なかなか、脳みそを触った経験はないと思いますが、そういう悲劇に襲われました。
夢も希望も未来もない私は、当時会社を経営しておりましたが、仕事もする意欲がなく、会社もやめたいような状況でありました。
もう、途方に暮れていたところ、半年後に、『そういえば、長男は教員になりたかったんだ』ということを思い出して、亡くなった半年後、私は大学に進学しました。そして、その大学に進学したときに、息子と私が同じ大学生という、そんな状態でした。
19歳の若さで事故に遭い亡くなった眞野議員の長男・貴仁さん(眞野氏提供)
■亡き息子の夢を追いかけ、大学進学、教員に
大学を卒業し、そのまま大学院に進学をして卒業したときに、母校の実務家教員になったわけです。そこで初めて長男に、おまえの夢を少しかなえることができたのかなという思いになりました。
そのあと、進化型実務家教員といいまして、文部科学省がやっているTEEPというのがありまして、その養成プログラムも名古屋市立大学で修了しました。長男の魂が乗り移ったのか、教育に目覚めてしまったという背景があります。
私としては、無車検、無保険、何もないという状態の中で、その怒りの矛先をどこにぶつけていいか分からないんですね。悩み苦しんだときに、私は、この気持ちを法改正に向けて闘うしかないと、それしかないんですね。裁判もできないですし、相手からは補償も謝罪もない。それで、苦しい思いで闘ってまいりました。
そのときに初めて衆議院選挙に出て、当然、落選するんですけれども、それから諦めずに選挙を重ねて12年、3度目の選挙で初議席を得ることができました(拍手)。ありがとうございます。
教育もそうですが、やはり、諦めないということが大事なのかな、というふうに私自身経験したところでございます。
それでは、大学等における修学の支援に関する法律の一部を改正する法律案について質疑を行います。
(以下、質問の詳細は省略)
亡くなった貴仁さんが乗っていた自転車(眞野氏提供)
■涙しながら答弁に立った文科大臣
その後、眞野氏によって多子世帯の修学支援についての質問が行われた後、あべ大臣による答弁が始まりました。
●あべ俊子・文科大臣(1:00:03~)
委員にお答えさせていただきます。先ほどは、委員会の前に御挨拶いただきまして、最初の質問だということで、ありがとうございました。
私、本当に、先生のプロフィールを見て、一生懸命先生が頑張ってくださるのは、息子さんが教員になりたかった、その思いを委員として果たしたいということを思い、本当に頑張ってくださってありがとう、という感謝の気持ちであります。
また、被害者に寄り添う会をしてくださって、本当にありがとうございます。いつか(*HPに掲載されていた)先生のおいしいカレーを食べながら、そのお話をゆっくり聞かせていただけたらというふうに思います。また、そうした中で、質問にお答えさせていただきます。
教員になりたかった息子さんの話を受けながら、先生が一生懸命考えてくださった中で、高等学校におきまして、生徒が自分の興味、関心、個性を理解した上で、自分たちが主体的に進路選択を行うことができるような、その指導が行われるということはまさに重要でございまして、大学入試において、受験生と大学の望ましいマッチングが図られることはまさに重要であると私どもも考えておりまして、現在、約7割の大学が高校生を対象といたしました体験授業を開催しているほか、また、総合型選抜また学校推薦型選抜で入学した方の割合は合わせて50%を超えるなど、取組は一定程度進んでまいりました。
(中略)
また、今年の2月の中教審の答申におきましては、在学中にどれだけ力を伸ばすことができたのかといった大学教育の質を数段階で示し公表すると提言されていることを踏まえまして、私どもは、この学修者本位の教育の更なる推進の観点から、評価制度をしっかり見直していきたいというふうに思っておりまして、大学改革に取り組んでまいりたいと思いますので、皆さんと御一緒に考えていきたいと思いますので、御一緒に頑張りましょう。
●眞野議員
大臣、ありがとうございました。まさか大臣から涙を流して御答弁いただけるとは、夢にも思っておりませんでした。本当にありがとうございます。
3月18日、眞野議員の質問に答えるあべ文科大臣(衆議院インターネット審議中継より)
続いて答弁に立ったのは、こども家庭庁・内閣副大臣の辻清人氏です。辻氏は冒頭、次のように、眞野氏に対して哀悼の言葉をのべました。
「委員の御経歴、また今日の質問、拝聴させていただきまして、2人の子を持つ親としても、胸中いかばかりかと察して余りあるとともに、御長男のみたま安らかなることを、改めて御祈念申し上げまして、答弁に入らせていただきます(1:05:10~)
そして、眞野氏は最後に、
「ありがとうございます。お二人のお子様を持たれているということで、とても優しいお言葉を投げかけていただきまして、本当に皆様ありがとうございます」(1:06:45~)
と、謝意を述べました。
ここでは、眞野議員の質疑の詳細を割愛しましたが、多子世帯への給付型奨学金、修学支援制度の予算執行についてなど、文部科学委員としての重要な質疑が続きますので、ぜひ全編をご覧いただければと思います。
2024年、初登庁の日に取材を受ける眞野氏(眞野氏提供)
■立憲民主党の『X』では閲覧数110万越え
国会議員となって初めての質疑を終えた眞野氏は語ります。
「18日の初質疑には、自分でも驚くほどの反響をいただきました。大臣が泣きながら答弁するなんて前代未聞だと、何人もの方から言われました。また、涙されていたのは大臣だけでなく、あの会議場におられたほかの議員の方も泣いておられたそうです。立憲民主党の国会情報を伝えるXでも質疑の模様が紹介され、すでに110万を超える閲覧回数となっているようです」
ここ最近、商品券問題等で揺れている国会の本会議。議場にはヤジが飛び交い、批判的な言葉の応酬が続く中、大臣と議員が心を通わせながら、山積する政策課題に共に向き合っていこうとする姿勢には、私自身、大きな安心感を覚えました。また、眞野氏のもとにも数多くのエールが寄せられているそうです。
一方、立憲民主党の『X』には、『なぜ文部科学委員会で交通事故の話?』『論点がズレている』といったコメントも散見されますが、眞野氏はきっぱりとした口調でこう言うのです。
「私は広い意味で、交通事故の問題も教育に行きつくと考えています。ルールを守り、無謀な運転をなくす、何より、人の命を大切にする教育が一番大切です。私はそのことを訴えるためにも、文科省の委員を務めながら、犯罪被害者としての立場も忘れず、多くの方々のお力を借りながら被害者庁設立の目標に向かっての活動にも力を入れていくつもりです」
わが子が命を奪われた名古屋市内の横断歩道に佇む眞野氏(筆者撮影)