命見捨てる『ひき逃げ』罪に問わぬ世の中は、絶望でしかない…。最高裁傍聴した遺族の今も消えぬ痛み
2024.12.18(水)
年の瀬も押し迫った2024年12月13日、最高裁判所南門前の歩道には注目の裁判を傍聴しようと、多くの人が長い列をなしていました。建物を取り囲むように立ち並ぶ大きな銀杏の街路樹はすっかり黄葉し、路面にはたくさんの落ち葉が舞っています。
午後2時から開廷が予定されていたのは、2005年、長野県佐久市で発生した中学生の交通死亡事件の裁判です。
酒気帯びの加害者が少年をはねた直後、重傷人身事故を起こしたことを認識していながら、コンビニへ行って口臭防止タブレットを購入し大量摂取。被害者の元へ戻るまでに10分かかったというこの行為が「ひき逃げ(救護義務違反)」にあたるか否かが争点となっているこの裁判は、一審で6カ月の実刑判決が下されたにもかかわらず、二審で逆転無罪に。それを不服として検察側が上告し、ついに最高裁で弁論の日を迎えたのです。
《参考記事》
●事故後のコンビニ直行は「ひき逃げ」か否か? 最高裁弁論までに9年9カ月も要した理由 #専門家のまとめ
この日、傍聴券の抽選を待つ列の中に、遠く岡山から東京まで、この裁判を傍聴するために駆けつけた女性がいました。吉岡由里恵さん(51)です。
由里恵さんは語ります。
「実は、私の母も3年前、ひき逃げで亡くなりました。刑事裁判は長野の事件と同じような経緯をたどり、一審は実刑でしたが、高裁で執行猶予に減刑されました。たとえ数分であっても、命を見捨てて逃げる行為が重い罪に問われない世の中は、絶望しかありません。これ以上、こんな思いをする遺族を増やしてほしくないという気持ちで、傍聴支援をさせていただこうと思いました」
岡山から和田事件の弁論を傍聴するため最高裁判所に駆け付けた吉岡由里恵さん(筆者撮影)
■母をはねて逃走した加害者は、7分後に現場へ……
由里恵さんの母・岸本福代さん(当時70)のひき逃げ死亡事件については、2023年7月、高裁判決の直前に、以下の記事で取り上げました。
亡き母の手作りハンバーグは、今も冷凍庫に… 仮免・ひき逃げ死亡事故。被告の「無罪」主張に、遺族は(柳原三佳) - エキスパート - Yahoo!ニュース
発生したのは、2021年6月9日のこと。その夜、岡山県倉敷市の自宅から散歩に出かけた福代さんは、横断歩道のない県道をほぼ渡りきったところで、トラック(準中型貨物自動車)の左前部で衝突され、路上に投げ出されました。
しかし、加害者は道路に倒れていた福代さんを救護せずに逃走。事故から約7分後、事故現場に戻り、逮捕されたのです。
岡山県倉敷市の事故現場。福代さんは写真の右側から左へ向かって横断し、ほぼ渡りきったところで加害者のトラックにはねられた(筆者撮影)
加害者の男(当時29)は無免許でした。福代さんをはねた直後、「勤務先に知られて怒られるのが怖い」と思った男は、とっさに現場から逃げ、脇道にトラックを止めてから、会社の社長や妻に電話をかけていました。路上に放置された福代さんはまもなく、大動脈離断等で死亡しました。
加害者のトラック。左前方に衝突の痕跡が遺されていた(遺族提供)
■「人だという認識がなかった」と無罪を主張した加害者
事故から約9か月後、検察は「無免許運転過失致死」と「道路交通法違反(ひき逃げ)」の罪で起訴。しかし、被告は裁判の中で無罪を主張しました。その理由は以下のとおりです。
① 被告車両は動いていたので、夜間、被告人が詳細に視認することができる中心視野は狭くなるし、同人は被害者の位置を分かって凝視することは出来ないのだから、被害者を認識することは困難であった。(→事故を起こしたことは事実だが、過失はない)
② 被告人には、人を相手方とする事故が生じたという認識がなかった。(→ひき逃げをしたという故意はない)
トラックのフロントガラスには、蜘蛛の巣状のひびが入っていました。この高さで「何か」と衝突したことは明らかなのに、なぜ「人」だと認識できなかったのか。仮にそうであっても、まずは車を停止させ、何とぶつかったのかを確認すべきではないでしょうか。
「反省のない加害者の態度には憤りを覚えましたが、一審の岡山地裁倉敷支部(横澤慶太裁判官)は、こうした被告人の無罪主張を全て退け、2023年3月17日、懲役2年2か月の実刑判決(求刑懲役4年)を下しました。判決文にはとても厳しい口調で、『同人の交通規範意識の在り様には大変大きな問題がある』と記されていました。でも、被告側はこの判決を不服として、すぐに控訴してきたのです」(由里恵さん)
2日に1度は由里恵さんの自宅に来て、孫の保育園のお迎えや家事などを手伝っていたという福代さん。由里恵さんとは仲のよい母娘で、孫たちにとっても優しいおばあちゃんだった(遺族提供)
■懲役2年2か月の実刑を破棄し、執行猶予判決を下した広島高裁
広島高裁岡山支部で判決の言い渡しがおこなわれたのは、それから約4か月後、2023年7月26日のことでした。
「主文、原判決を棄却する。被告人を懲役1年6月に処する。この裁判が確定した日から3年間、その執行を猶予する……」
判決の読み上げを聞いたとき、由里恵さんは大きなショックを受け、全身から力が抜けるのを感じたと言います。
「頭を丸刈りにしてきていた被告人は、椅子に座ったまま裁判官の方をじっと見ていました。私は身体が震え、メモを取ることすらできませんでした。無免許運転の常習者が死亡事故を起こし、ひき逃げをしたのです。それなのに、無免許運転過失致死は無罪に、救護義務違反(ひき逃げ)は執行猶予に減刑されたのです……。実刑からの執行猶予なんて、被害者からすれば無罪になったも同じです。それだけではありません、裁判官は最後に、被告に向かって優しい口調でこう言ったのです。『いいですか、3年間、悪いことをしなければ刑務所に入ることはありません。3年間悪いことをしないように……』と」
由里恵さんが母にプレゼントしたバッグは肩紐が引きちぎれ、愛用のメガネはレンズがはずれていた。携帯電話は今もそのまま保管しているという(筆者撮影)
以下、高裁の判決文から「量刑の理由」を抜粋します。それは、加害者の悪質性を強く指摘し、実刑判決を言い渡した一審判決とはまったく異なる内容でした。
『被告人は、平成27年12月に道路交通法違反(無免許)の罪により罰金刑に処せられたにもかかわらず、同種の犯行に及んでおり、常習性も認められることからすれば、同犯行の犯情は芳しくないし、その運転中に人身事故を起こしたのに、被害者を救護することなく逃走し、第2の犯行に及んでいることにも照らすと、被告人には人身や交通の安全に対する意識が希薄であると言うべきである。
上記事故後被害者を救助等することなく逃走した被告人に対する遺族の処罰感情に強いものがあることにも鑑みると、被告人が逃走の数分後には本件事故現場に戻ったこと等を踏まえても、被告人の刑責を軽く見ることはできない。
もっとも、他方で、被告人が無免許運転については罪を認め、結果として死亡事故を起こしたことについては反省の弁を述べるなど、被告人なりの反省の態度を示していること、被告人の妻が被告人の監督を誓約していること、罰金前科以外に前科はないことなど、被告人のために考慮できる事情もあるので、今回に限り、社会内で更生する機会を与えるのが相当であると判断し、その形の執行猶予することとし、主文のとおり判決する』(裁判長裁判官・柴田厚司、裁判官・重高啓、大門宏一郎)
納得できなかった由里恵さんら遺族は、最高裁での判断を強く望みました。しかし、検察は「上告理由が見つけられなかった」として断念。結局、高裁の執行猶予判決は確定しました。
今回、初めて最高裁で長野のひき逃げ事件の弁論を傍聴した由里恵さんは語ります。
「約10年という長い年月、闘い続けてこられた和田さんのご家族は、さぞお疲れになったことと思います。最高裁の法廷には被告本人はあらわれず、無罪を主張する被告側弁護士の弁論内容や態度には、心情を逆撫でされる思いだったのではないでしょうか。買い物に要した時間がたとえ1分でも、被害者にとっては生死を分ける貴重な時間です。息子さんは意識が薄れゆく中、『助けて……』と、声にならない声で助けを求めていたかもしれないと思うと、本当に言葉がありません。そして、私の母もひょっとしたら……、そう思うと辛くてたまらなくなります。これまで、黒やグレーを白にする理不尽な裁判に苦しめられてきた人たちがどれだけいるのでしょう。悔しくても泣き寝入りすることしかできなかった被害者や遺族が、きっと大勢おられることでしょう。今回の最高裁の判断が、同じようなひき逃げ事件を減らす一歩となることを願うばかりです」
12月13日、最高裁弁論の後に開かれた和田さん夫妻による記者会見。長年支援し続けてきた北海道の交通事故遺族・白倉夫妻も登壇した。岡山から駆け付けた由里恵さんもこの会見を見守った(筆者撮影)