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何のための「無制限保険」なのか…損保会社が聴覚障害の11歳少女につけた「命の値段」のあまりの非常識

2023.4.1(土)

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何のための「無制限保険」なのか…損保会社が聴覚障害の11歳少女につけた「命の値段」のあまりの非常識

自動車保険の「対人・対物無制限」とは、どういう意味なのか。ジャーナリストの柳原三佳さんは「いざ事故が起きると、損保会社は被害者に対してかなり低い賠償額を提示するため、トラブルとなるケースが相次いでいる。何のための無制限保険なのか。社会全体で考える必要があるのではないか」という――。

【写真】遺族側は横断幕を掲げて大阪地裁に入った

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■11歳の少女が重機にひかれ、死亡した

 万一の事故に備え、被害者に対して十分な賠償ができるようにと、対人・対物「無制限」の自動車保険を契約している人は多いでしょう。

 しかし、いざ事故が起こると、損保会社からはかなり低い賠償額の提示をされ、被害者側がそれに納得できず訴訟に至るケースが少なくありません。事故に備えるはずの保険が原因で、さらに被害者の尊厳までも傷つける事態になっているのです。

 そのひとつが、最近メディアで頻繁に報道された「交通事故で亡くなった聴覚障害女児の逸失利益」をめぐる民事裁判です。

 事故は2018年2月、大阪市生野区の大阪府立生野聴覚支援学校前の交差点で起きました。下校中に信号待ちをしていた同校小学部5年の少女(当時11歳)が、暴走した重機(ホイールローダー)にひかれ、死亡。一緒にいた児童ら4人も骨折などのけがをしました。

 運転していた当時30代の男性は、事故直前にてんかんの発作で意識を失い、事故を起こしました。持病を会社に隠して運転していたのです。この男性は危険運転致死傷罪で懲役7年の実刑判決を受け、現在刑務所に収監中です。

■聴覚障害を理由に保険金を払い渋る保険会社

 問題は、当事者間の損害賠償の交渉で起きました。事故を起こした男性側(実質的には損保会社の三井住友海上)は、亡くなった少女のご両親に驚きの主張をしてきたのです。

 少女には生まれつきの聴覚障害があったことから、逸失利益(将来得られたであろう収入)を女性平均賃金の40%(年153万520円)を基礎収入として算出すべきだ――。こういった内容でした。

 その理由は、「聴覚障害者には、9歳の壁、という問題があり、高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、小学校中学年の水準に留まる」というものでした。

 「9歳の壁」や「逸失利益の減額」の主張について、同社がどのように考えているのか、また、「被告(※三井住友海上にとっては契約者=お客様)が、裁判でこのような主張をしていることを把握しているのか?」について質問しました。2021年時点の三井住友海上(広報部)の回答は以下の通りでした。

 「お客さま(被告)にかかわる個別のご契約につきましては、守秘義務がございますので、回答は差し控えさせていただきます。係争事案は、個別の事情に応じて法廷でご判断されるものでございますので、法廷を尊重する立場から、一般論の回答を差し控えさせていただきます」

 この理不尽な主張に、亡くなった女児の両親はこう訴えています。

 「娘は11年間、必死に努力し、頑張ってきました。将来、たくさんの可能性を秘めていました。にもかかわらず、『聴覚障害がある』という理由だけで差別され、侮辱を受け……。親としてどうしても黙っていることはできません」

■事故から5年が経過しても裁判は続いている

 少女には何の落ち度もない、痛ましい事故です。それなのに、なぜ障害があるという理由だけで、「命の値段」は障害のない人の半分以下になるのでしょうか。

 両親らは2020年1月に、運転していた男性と当時の勤務先を提訴。「逸失利益の減額は障害者差別にあたり、到底納得できない」として約6130万円の損害賠償を求めました。この裁判には、視覚や聴覚に障害のある弁護士たちも弁護団に加わり、被告側の差別的な主張に対して異議を唱えています。

 裁判の途中で、被告側は当初主張していた算出基準となる基礎収入「女性平均賃金の40%」(年153万520円)を、「聴覚障害者の平均賃金」(年294万7000円)」に変更し、逸失利益を算出しなおしてきました。このとき多くのメディアは「主張を撤回」と報じましたが、それでも全労働者の平均賃金の60%にすぎませんでした。

 2023年2月27日、大阪地裁は判決で「少女の逸失利益を全労働者の平均賃金(年497万2000円)の85%とする」とし、被告側に約3800万円の賠償を命じました。「女性の平均賃金の40%」という被告側の当初の主張がいかに低いものであったかがよくわかると思います。

 しかし、両親らは、全労働者の平均賃金から15%を減額した一審の判決に納得できず控訴。事故発生からすでに5年の歳月が経過していますが、高裁での裁判はさらに1年以上続くとみられています。

■「片目失明でも10年で慣れる」と示談を迫るケースも

 自動車保険の「対人・対物無制限」は、文字通り支払われる保険金の限度額に制限がないことです。もちろん法律上の損害賠償責任を負った範囲内で、被害者に保険金が支払われます。

 ただ、聴覚障害女児のケースを見てもわかる通り、「命の値段」の査定においては非常に厳しいのが現実です。加害者側(実質的には損保会社)は、かなり悪質な事故であっても、一方的な理由をつけて可能な限り支払額を少なくしようとしています。

 死亡事故ではありませんが、過去にこんなケースを取材したことがあります。

 事故で片目を失明した大学生(当時19歳)に対して、加害者側の保険会社(東京海上火災)は「片目失明でも10年で慣れる」と、労働能力喪失期間を35年分カットして逸失利益を計算し、200万円での示談を迫ってきたのです。

 しかし、疑問を感じた被害者は弁護士に相談。その結果、過去の判例などをもとに全期間の逸失利益が認められ、結果的に既払い金+4800万円の支払いとなったのです。

 もし、この被害者が何も知らず、示談書に判を押していたらどうなっていたのでしょうか。根拠のあやふやな低額提示をされた被害者の中には、闘う術を知らぬまま、あるいはその気力もないまま、示談に応じているケースが少なくないのが現実です。

■「余命」を平気で切り捨てる

 交通事故の取材を長年続けてきた私のもとには、重大事故の被害者から、「実際にはきわめて低い提示額を突き付けてくるのに、無制限という表示で自動車保険を販売するのはいかがなものか」という疑問や怒りの声とともに、深刻な事例が、数えきれないほど寄せられてきました。判決が確定した事例をいくつか紹介します。

 1996年、自転車に乗車中、大型トレーラーにひかれ、遷延性意識障害(いわゆる植物状態)になったAさん(当時68歳)の場合、損保会社は「寝たきり者は長く生きられない」として余命7年の賠償金を提示してきました。しかし、2002年、東京高裁は平均余命までの22年分の逸失利益や介護費用を認める判決を出し、差額の4500万円が支払われました。

 2001年、飲酒運転の車にはねられ遷延性意識障害となったBさん(当時37歳)の場合も、損保会社は同じく、余命を10年として賠償金を計算してきました。しかし、このケースも一審の千葉地裁、二審の東京高裁ともに、平均余命までの損害を認め、2007年、被告側に4億円を超える賠償金を支払うように命じる和解が成立しました。

 しかし、裁判所がこうした判断を下しているにもかかわらず、その後も寝たきりの被害者に対する余命の切り捨て行為は続いています。

■妻は交通事故で寝たきりになった

 奥さまが交通事故で全身まひとなり、損保会社の過酷な払い渋りに翻弄(ほんろう)された体験を持つ松尾幸郎さん(現在アメリカ在住)は、11年前、取材にこう語っておられました。

 「なぜ加害者側の損保会社に、“命”の期限を勝手に切られなければならないのか。果たしてこれが、無制限保険のやることなのか……」

 松尾さんの妻・巻子さん(当時62歳)が突然の事故に遭ったのは、2006年7月のことでした。車を運転して帰宅途中、居眠り運転で中央線を突破した対向車に正面衝突され、頚髄損傷、脳挫傷などの重傷を負ったのです。

 巻子さんは一命は取り留めたものの、人工呼吸器をつけた状態で寝たきりとなりました。事故の瞬間から、会話をすることも、口から食事をとることもできなくなってしまいました。

 加害者の男性(当時20歳)は対人無制限の任意保険に加入していました。ところが、損保会社(日新火災海上保険)は巻子さんが入院していた個室の差額ベッド料だけでなく、人工呼吸器まで“過剰”だと、入院治療費を減額してきたのです。

 さらに、脳外科医が書いた論文をもとに、「寝たきり者は長く生きられない。余命は5年を超えることはなく、4.4年である」として、本来なら平均余命まで算出すべき巻子さんの介護費用や逸失利益は大幅に減額してきたのです。

 「あのときは本当にこたえました。加害者の一方的な不法行為で、妻を死ぬよりつらい状況にさせておきながら、すべて否定、否定、なのですから……」(松尾さん)

■個室ベッド、人工呼吸器の費用を「支払い拒否」

 これでは示談に応じることができないと判断した松尾さんは、結局、民事裁判を起こさざるを得ませんでした。

 寝たきりの妻の病院にほぼ毎日通いながらの訴訟は筆舌に尽くしがたいつらさがありましたが、事故から3年4カ月後の2009年11月、富山地裁は被告側の主張を却下。平均余命までの介護費用や逸失利益など全てを認め、被告側に約2億5000万円の支払いを命じました。

 ちなみに、被告側は将来介護費用について月額50~60万円(余命4.4年で計算すると、2640~3168万円)が妥当だと主張していましたが、裁判所は介護費用だけで約1億9600万円を認めました。

 ニューヨークで長年ビジネスをしてきた松尾さんは、老後は生まれ故郷の富山に移住し、夫婦でゆったり暮らそうと考えていました。しかし、帰国後、事故は間もなく起こり、巻子さんは8年後、病院から一度も外へ出ることができないまま亡くなりました。

 松尾さんはその後自宅を処分し、長女の住むアメリカに終の棲家を求め、移住しました。現在86歳、しかし、当時の過酷な体験が脳裏から離れることはないといいます。

■「尊厳を傷つける言動に出ているのは、加害者本人ではなく損保会社」

 「女房が事故に遭ってから今年で17年経ちますが、当時のことを思い出すと、今も腸が煮えくり返ります。加害者側の損保会社の弁護士は、何の落ち度もない妻に対して『寝たきり被害者の平均寿命は4.4年』だと言いきりました。被害者とその家族の尊厳を傷つける言動に出ているのは、加害者本人ではなく損保会社なのです。もちろん彼らは、判決で賠償額が決定されれば"無制限"に支払わざるをえないことを知っています。

 だからこそ、法的にその額が決定する前に1円でも抑えようと、人権無視の酷い主張をしてまでも徹底的に闘ってくるのです。表面上は善意に見えて、その裏に本音が隠れています。それなのに日本ではいまだに『無制限』という名で自動車保険が売られているそうですね。また、裁判の中では相変わらず『懲罰的賠償』(*加害者の不法行為が非難に値するとき、実際の損害賠償に上乗せして支払いを命じること)も認められていない。結果的に夫である私への慰謝料はわずか300万円でした。私は自分の体験から、この2点が今後のキーワードだと思っています」

 また、松尾さんは、巻子さんが事故に遭ってから亡くなるまでの8年間の壮絶な日々を目の当たりにし、日本の損害賠償のあり方そのものに大きな疑問を感じるようになったといいます。

 「人間の苦痛は、①身体的苦痛(Physical pain)、②精神的苦痛(Mental pain)、③社会的苦痛(Social pain)、④霊的苦痛(Spiritual pain)以上4つに分類されます。日本の医療業界でもこれらの苦痛はすでに認識されており、その対応が進んでいます。にもかかわらず、交通事故においては、身体的苦痛だけが賠償の対象になっており、その他の苦痛は軽視、または無視されています。損保業界、そして司法にはそのことをよく認識していただきたいのです」

■安易に示談に応じてはいけない

 松尾さんの裁判を紹介した記事の中でも、被害者側が示談に応じず、民事裁判をしたことによって、損保の提示額を大きく上回る判決を勝ち取った以下の例を紹介しました。

●0円→2億1900万円/被害者の100%過失を完全に逆転
●0円→5900万円/裁判所が事故後の自殺と事故の因果関係を認定
●1億2600万円→2億4300万円/裁判所が脳外傷被害者への常時介護と住宅改造費等を認定
●2200万円→1億400万円/「福祉費は賠償金の中に含めない」という判例を基に逆転

 万一、交通事故に遭った際には、こうしたケースが頻発していることをしっかり認識し、安易に示談に応じないよう気をつけるべきです。

 特に、重大事故になるほど払い渋りの金額も大きくなりますので、必ず交通事故に詳しい弁護士に相談し、過去の判例などを調べることをおすすめします。

■「対人無制限」が誤解と苦しみを生んでいる

 2023年2月21日、衆議院予算委員会第三分科会において、興味深い質疑が行われていました。緒方林太郎衆議院議員は、交通事故被害者の損害賠償が「男女格差」や「障害の有無」によって減額されている現状を挙げたうえで、以下の質問を行いました。

 「損害保険における『無制限』という表現について、お伺いしたいと思います。自動車保険で補償が『無制限』と書いてあるケース、あれは、実際には有限責任であって、その有限責任の中でも相当因果関係の範囲での補償ということになるわけですね。『無制限』という言葉から受ける印象と、実際の実務の間にはかなりの乖離(かいり)があります。消費者に誤認を与えているのではないかと思いますが、消費者庁、いかがですか」

 名指しされた消費者庁の担当者は、「個別の事案に関するお答えは差し控え、一般論として……」と前置きしたうえで、こう答弁しました。

 「事業者が自己の供給する商品、サービスの内容について、一般消費者に対して実際のものよりも著しく優良であると誤認されるような表示を行う場合には、景品表示法上、問題となってまいります。また、注意書き、適用条件、例外などが小さく記載されていたとしても、表示全体から見て一般消費者が著しく優良であると認識するのであれば、景品表示法上、問題となることがあり得るところでございます。お尋ねの損害保険に関する表示につきましても、消費者庁といたしましては、景品表示法上、問題となる具体的事案に接した場合には、同法に基づいて厳正に対処してまいりたいと考えております」

■何のための「無制限保険」なのか

 緒方議員は、無制限保険に「実際の実務の間にはかなりの乖離があり、消費者に誤認を与えている」と指摘しました。

 まさにそのとおりで、損保会社が「無制限」を掲げて対人・対物保険を売り出しながら、判例を無視して被害者側に支払う保険金を出し渋る、そんな姿勢には強い違和感を覚えます。損保会社の対応のまずさが、結果的に、被害者の怒りを増幅させている現状を、真剣に考える必要があるのではないでしょうか。

 消費者庁の担当者はこのとき「景品表示法」を挙げて答弁しましたが、同庁が公開している「事例でわかる景品表示法~不当景品類及び不当表示防止法ガイドブック」の中で以下のように解説されています。

 〈不当表示や不当景品から一般消費者の利益を保護するための法律が「景品表示法(正式名称:不当景品類及び不当表示防止法)」です。景品表示法は、商品・サービスの品質、内容、価格等を偽って表示を行うことを厳しく規制するとともに、過大な景品類の提供を防ぐために景品類の最高額等を制限することなどにより、消費者のみなさんがより良い商品・サービスを自主的かつ合理的に選べる環境を守ります。〉

 果たして、自動車保険における現在の「無制限」表示は、「景品表示法」上、どう判断されるべきなのか。引き続き、国会での議論と消費者庁の動きにも注目したいと思います。