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「娘の努力と未来、なぜ否定?」聴覚障害女児死亡事故 損保の”減額主張”に両親が法廷で訴えたこと

2022.9.30(金)

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「娘の努力と未来、なぜ否定?」聴覚障害女児死亡事故 損保の”減額主張”に両親が法廷で訴えたこと

■元担任が断言「聴力レベルと学力は全く関係なし」

 8月29日、大阪地裁(武田瑞佳裁判長)で「聴覚障害女児死亡事故」の民事裁判が約4時間にわたって開かれました。
 この日は、亡くなった井出安優香さん(当時11)の両親と、安優香さんが通っていた大阪府立生野聴覚支援学校の元担任らが法廷に立ちました。安優香さんとの事故前の生活、事故後の思い、被告側の主張に対する反論意見などを述べました。

 初めて法廷に立った母のさつ美さん(51)は振り返ります。

「とても緊張しました。でも、これまで安優香と歩んできた11年間をしっかり語ることができたと思っています。何よりありがたかったのは、安優香の元担任の先生が、『聴力レベルと学力は、全く関係ありません』と断言してくださったことです。私自身、安優香が0歳のときから頑張ってきた姿を見てきました。重い聴覚障害があっても、学年相応の学力がつけられることがわかっていただけに、先生のその言葉を聞いたときは本当に嬉しかったです」

安優香さんが清少納言をまねて四季を表現した文。遺族側の代理人弁護士は「古文の内容を理解していないと書けない文章。小学生とは思えない理解力です」と評価し、会見で記者たちに披露した(遺族提供)

安優香さんが清少納言をまねて四季を表現した文。遺族側の代理人弁護士は「古文の内容を理解していないと書けない文章。小学生とは思えない理解力です」と評価し、会見で記者たちに披露した(遺族提供)

■てんかん発作の暴走重機に奪われた命

 事故は2018年2月1日、大阪市生野区の生野聴覚支援学校前で発生しました。安優香さんが小学部の先生や友達と下校途中、横断歩道の前で信号待ちをしていたところ、道路工事をしていたホイールローダーが突然暴走し、至近距離から突っ込んできたのです。
 この事故で安優香さんが死亡、一緒にいた児童2人と教員2人も重傷を負いました。歩行者には何の落ち度もない事故でした。

 自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)などの罪で起訴された加害者の男(当時36)には「難治てんかん」という脳の持病があり、医師から運転を止められていました。にもかかわらず、それを隠して重機を運転していたのです。

 刑事裁判で実刑判決を受けた加害者は、すでに刑務所に収監されています。現在進行しているのは民事裁判で、原告と被告との間では「逸失利益」(元気であれば将来得られたであろう収入)の金額について争いが続いています。

大阪地裁前で支援者と共に(遺族提供)

大阪地裁前で支援者と共に(遺族提供)

■聴覚障害者の学力は本当に健常者より劣るのか?

 被告側(実質的には加害者の任意保険会社/三井住友海上)は、当初、安優香さんが生まれつきの難聴だったことから、将来得られたはずの収入である逸失利益について、『一般女性の40%(基礎収入153万520円)で計算すべきだ』と主張しました。『聴覚障害者には「9歳の壁」という問題があり、高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、9歳くらいの水準に留まる』というのがその理由です。

 ところが裁判の途中で「原告らの指摘により聴覚障害者の平均賃金の存在を知った」として突然、基礎収入を「聴覚障害者の平均賃金(294万7000円)」に変更し、算出しなおしてきました。

 一方、遺族はあくまでも健常者と同じ基礎収入での計算を求めています。被告側の新たな提示金額とも、まだ隔たりがあります。

 この日、法廷に立ったさつ美さんは、「事故から時間が経っても、一年ごとに悲しみが大きくなります……」と涙を流しながら、安優香さんが幼少期からいかに努力を重ね、同学年の健常児に引けを取らない学力を身につけてきたかについて語りました。

「私は安優香と一緒に、毎日聴覚支援学校の幼稚部へ通い、授業中は参観のように、教室の後ろで見ていました。幼稚部では言葉を覚えるための教育がなされていて、キュードスピーチという特殊な記号を用いた口話の練習を重ねていました。小学部に入ってからは、毎日出される宿題をし、自主学習として大好きな英語をノートに書き、日記も休まず続けるなど頑張っていました。事故の10日後には漢字検定を受ける予定だったんです」

 また、自身も法廷に立ち、「聴力レベルと学力は全く関係がない」と述べた元担任も、最近ではインターネットや音声を文字に変換する音声認識システムが発達したことで、聴覚障害者の就労環境は改善していると説明しました。

母親のさつ美さんと共に、キュードスピーチに使う図形を覚える訓練をする3歳当時の安優香さん(遺族提供)

母親のさつ美さんと共に、キュードスピーチに使う図形を覚える訓練をする3歳当時の安優香さん(遺族提供)

■自社では「障害者の活躍を推進」の三井住友海上

 実際に、三井住友海上の公式サイト内にある『障がい者活躍推進の取組』というコーナーでは、企業としての取り組みが以下のように紹介されています。

『当社では、障がいの種別に関係なく、さまざまな社員が健常者と同じ立場で勤務しています。2022年4月現在、全国で約330名の障がいのある社員が活躍しています』

 また、このページには、聴覚障害者への支援策として以下のように記載されていました。

『聴覚に障がいのある社員向けにコロナ禍、字幕と手話通訳付きでリモート研修を実施』

『画面読み上げソフト、拡大読書器、音声認識アプリ等の職場配備や、社内の動画コンテンツへの字幕表示など、それぞれの社員の障がいの状態に合わせ、支援を行っています』

 しかし同社は、裁判では“違う姿”を見せます。

 本件事故の被害者である安優香さん、彼女を支えてきた両親、聴覚支援学校の先生方の努力や学習の成果を評価することはせず、2009年と2014年にまとめられた二つの論文を証拠として、『聴覚障害者の就職は困難である、だから収入は低いはずだ』と、逸失利益の減額主張を展開しています。

 こうした主張を、社としてどうとらえているのか?
   筆者は2021年5月、『聴覚・視覚障害の弁護士たちが立ち上った! 難聴の11歳女児死亡事故裁判に異議(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース』という記事で、三井住友海上に直接質問を投げかけましたが、返ってきたのは、

「お客さま(被告)にかかわる個別のご契約につきましては、守秘義務がございますので、回答は差し控えさせていただきます。係争事案は、個別の事情に応じて法廷でご判断されるものでございますので、法廷を尊重する立場から、一般論の回答を差し控えさせていただきます」

 というコメントで、具体的な説明は得られませんでした。

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2017年9月10日、11歳のバースデーケーキを前に嬉しそうな表情を見せる安優香さんと父親の努さん。この日から約半年後に事故は起こった(遺族提供)

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■娘の11年間の努力と未来の可能性、なぜ否定?

 法廷の証言台には父親の井出努さん(49)も立ちました。安優香さんが亡くなった日のこと、葬儀のこと、その後の家族の様子、父親としての苦しみなどについて述べた努さんは、こう振り返ります。

「あの日、私は尋問の最後に、思わず『こんな差別的な主張が通るなら、世の中狂っています!』と、大声で叫んでいました。9歳の壁の問題を持ち出す損保会社の言い分は、娘の11年間の努力を否定する人権差別です。優生思想とも言えるこうした主張は、絶対に認めさせてはいけない。これは、私共家族だけでなく、これまで署名をして下さった多くの方々の思いです。裁判官には、どうか公平な判断をしていただきたいと思っています」

 2022年9月10日は、安優香さんの16回目の誕生日でした。

「事故さえなければ、生野聴覚支援学校の中学部に進み、大阪市の聴覚障害者向けの高校へ進学していたでしょう。当時はまだ小学生でしたから、具体的には考えていませんでしたが、安優香は努力家でしたので、大学に行きたいといえばもちろん行かせる予定でした。聴覚障害者を知らない人の中には、実際に『9歳の壁』があると思っている人も多いといます。でも、決してそうではないことを知ってもらいたい、そして伝えたいと思っています」(さつ美さん)

 次の裁判は、11月28日午後1時半から大阪地裁で開かれます。この日が結審となり、判決は年明けに下される予定です。

安優香さんが事故時につけていた遺品の補聴器。今は父の努さんが常に携帯している(遺族提供)

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