交通事故の被害者を再び傷つける、加害者側の損保による賠償金「減額」の手法
2022.8.28(日)
「小5の娘をてんかん発作のホイールローダーに奪われてから4年半、8月29日には大阪地裁で私たち遺族の尋問が行われることになりました。加害者側の損保会社の主張は、志半ばで命を奪われた娘の11年間の努力を否定した人権差別だと思っています。言葉では言い表せない、この怒りと悔しさ……。裁判でしっかり訴えるつもりです」
そう語るのは、大阪府の井出努さん(50)です。
(参考)「障害あっても努力家だった娘の人生、なぜそんなに軽んじる」 あまりに非道、「逸失利益は聞こえる人の40%」の被告側主張
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65596
事故は、2018年下2月に発生しました。下校途中、先生や友達と歩道で信号待ちをしていたところ、突然暴走してきたホイールローダーに至近距離から突っ込まれ、井出さんの長女・安優香さんが死亡、一緒にいた児童2人と教員2人も重傷を負ったのです。
■ 亡くなった被害者の人格を貶め、遺族の心を抉るような加害者側損保会社の主張
事故を起こした運転手(当時36)には難治てんかんの持病があり、主治医からは車を運転しないよう注意されていました。にもかかわらず、虚偽の申請をして免許証を取得し、仕事で重機を運転。その行為は極めて悪質とみなされ、「危険運転致死傷罪」で起訴され、2019年3月、懲役7年の実刑判決を受け、現在収監中です。
一方、民事裁判は現在も係争中で、生まれつき聴覚障害のあった安優香さんの逸失利益をめぐって、加害者不在の争いが続いています。
加害者側の損保会社は当初、「聴覚障害者の収入は健常者の40%だ」と、基礎収入を153万520円として損害額を算出していましたが、2021年8月、「原告らの指摘により聴覚障害者の平均賃金の存在を知った」として、その額を294万7000円に引き上げてきました。それでも、原告側の主張をはるかに下回る金額のままですが、もし、遺族が損保側の最初の提示をそのまま受け入れて示談に応じていたらどうなっていたのでしょうか。
この裁判には大きな注目が集まっていますが、安優香さんの可能性や将来をも否定するかのような損保側の主張は、遺族の心に大きなダメージを与えており、大変深刻です。
■ 相手側損保会社は被害者の味方ではない
では、交通事故の被害者・遺族はなぜ、加害者本人ではなく、実質的に損保会社と闘わなければならないのでしょうか。
7月に出版された『交通事故 被害者家族のための 刑事・民事・保険 手続き安心ガイド』(藤本一郎弁護士著/若葉文庫)の中から、「示談代行サービス」について解説された一説をご紹介します。
<保険会社は、自動車保険に、いわゆる「示談代行サービス」をつけているのが通常です。このサービスは、次のような文面で約款に記載されています。
【次のいずれかに該当する場合は、当会社は、当会社が被保険者に対して支払い責任を負う限度において、当会社の費用により、被保険者の同意を得て、被保険者のために、折衝、示談または調停もしくは訴訟の手続きを行います。
・被保険者が事故にかかわる損害賠償の請求を受けた場合
・当会社が損害賠償請求権者から次条の規定に基づく損害賠償額の支払いの請求を受けた場合】
この「示談代行サービス」により、交通事故が発生すると、加害者が契約している保険会社が窓口になり、被害者との交渉にあたります。そして、保険会社は被害者に対し、治療費、休業損害、交通費などを支払います。これらを支払うことは、当然とはいえ、被害者にとってありがたい対応だと評価できる部分もあると思います。>
その上で、本書では「保険会社のスタンス」について、次のような本音も明かされています。
<保険会社は、被害者が被った損害を補償するという重要な役割を果たしています。一方で、自らの営利を追求する会社でもあります。利益を上げるためには、被害者に対する支払い額を少なくすることが必要になります。(中略)
被害者と交渉するのは、「加害者が契約している」保険会社になります。保険会社にとっては、自動車保険を契約していた加害者が「お客さま」である反面、被害者は「交渉の相手」です。保険会社は、けっして「被害者の味方ではない」ことを認識しておきましょう>
実際に、交通事故の被害者・遺族が、損保会社の「払い渋り」ともいえる二次被害に苦しむケースは少なくありません。客観的な証拠もないのに、一方的に大きな過失割合を押し付けられたり、また、被害者の逸失利益や介護費用などを大幅に減額されたりと、極めて低い損害賠償額を提示されるケースは枚挙にいとまがありません。
とはいえ、誰もが民事裁判を起こせるわけではなく、多くの人が低額での示談に応じ、泣き寝入りを強いられているのが現状です。
■ 被害者団体が損保による二次被害を金融庁に報告
2022年7月26日、こうした現状に一石を投じる動きがありました。交通事故の被害者・遺族らでつくられた「一般社団法人関東交通犯罪遺族の会(通称・あいの会)」が、日本損害保険協会と損保会社を所管する金融庁を担当する鈴木俊一内閣府特命担当大臣(金融)に対し、指導の徹底を求める意見書を提出したのです。
(参考:産経ニュース)交通事故の「二次被害」なくして 遺族ら金融庁に意見書
https://www.sankei.com/article/20220726-6VTKLVWTWJPIFCW7AMSF2RTVD4/
同会が金融庁に提出した「意見書」には、被害者・遺族が受ける過酷な二次被害について、こんな一文がありました。
『裁判での反論や主張は当然の権利です。また支払わなければならない賠償金をできるだけ減額したいという企業論理も理解します。しかし、保険会社弁護士は民事裁判において、必要な反論や主張を逸脱して、裁判所が認めることすら想像できない荒唐無稽な主張や、遺族等の尊厳を踏みにじる冒涜的な言動を行います。一例を上げると「助かるはずがなかったのだから」と医療費の支払いを拒絶したり、提訴まで時間がかかったことを「遅延金目当てである」と主張したり、憶測ばかり並べて「医療ミスがあったに違いない」と主張したり、などが常態化しています。これは民事裁判を経験したほとんどの遺族等が経験している現実です。このため民事事件で遺族等は大変な苦痛を受けることになります』
そして、意見書にはこうした現状を改善するために、金融庁に対する以下の4つの要望が記載されていました。
1.金融庁から各損害保険会社への徹底した指導
2.日本損害保険協会でのガイドライン策定と、その徹底に向けた各損害保険会社への指導
3.各損害保険会社でのCSR(企業の社会的責任)の再認識とその社内徹底の遂行
4.各損害保険会社から保険会社弁護士への上記共有およびその履行チェック』
■ 損害賠償の世界にある3つの基準とは?
先に紹介した『交通事故 被害者家族のための 刑事・民事・保険 手続き安心ガイド』の著者である、だいち法律事務所の藤本一郎弁護士は、交通事故の被害者と損保会社の間に横たわる大きな力の差についてこう語ります。
「多くの被害者は交通事故に遭うのは初めてだと思います。このため、被害者はその対応について十分な知識を持っていません。対して、保険会社の担当者は、社内で研修を受けたり、数多くの交渉に直接関わったりしているため、十分な知識と経験を有しています。被害者はどう対応したらよいかわからないまま、保険会社の担当者の説明を疑わずに受け入れてしまいがちですが、安易に示談に応じてしまうと、それで終わってしまいます。納得できない場合には、被害者側も交通事故の事案を多く取り扱った経験のある弁護士に相談することが大切です」
冒頭のケースでは、損保会社の主張に納得できなかった井出さん夫妻は、悩んだ末に弁護士に相談し、民事裁判を提訴しました。そして、損保側の主張がメディアで報じられると、障害者差別ともとれるその内容に聴覚や視覚に障害のある弁護士らが異議を唱え、彼らを中心として、30名を超す大弁護団が結成されています。
藤本弁護士はこう続けます。
「賠償金額を算定するときの基準には、『自賠責基準』『任意保険基準』『弁護士基準(裁判基準)』という3つがあります。このうち、賠償金額は『弁護士基準』が最も高く、『任意保険基準』、『自賠責保険』の順に少なくなります。現実に弁護士に依頼していない場合、保険会社が提示してくる金額は、『任意保険基準』にしたがっていることが多いのですが、中には低額の『自賠責基準』で計算されているケースもあります。しかし、被害者が弁護士に依頼すれば、『弁護士基準』での計算に変更されるため、受け取れる賠償金が多くなるのが通常なのです」
私自身、交通事故裁判を数多く取材する中で、この3つの基準の差を実際に見てきました。しかし、被害者側が弁護士に依頼して裁判を起こしても、損保会社側の主張を覆すことができないケースもあり、被害者が個人で交渉することがいかに困難であるかを痛感しています。
交通事故に遭い、ただでさえ心身共に弱っている被害者・遺族は、闘う気力を失いがちです。しかし、どれほど辛くても、泣き寝入りだけは禁物です。被害者の視点で書かれた本やネットの情報を集めて理論武装し、損保会社の提示が適正かどうか、まずはしっかり見極めることが大切です。