世界にひとつだけの「虹の着物」 交通事故で愛息亡くした母が込めた思い
2022.6.20(月)
「虹の柄の入った、訪問着をご覧いただきます」
オープニングのナレーションとともに、優しい笑みを浮かべながらステージに現れたひとりの女性。彼女がスポットライトを浴びた瞬間、その華やかな着物姿に観客席からは思わずため息が漏れ、会場は拍手に包まれました。
5月 28 日、3年ぶりに開催された『東京キモノショー』。
『世界にひとつだけの着物』と題されたファッションショーの一幕を、まずは動画とナレーション原稿でご覧ください。
<着物ファッションショーのナレーションより>
私には一人息子がいます。名前は「正しい心」と書いてマサムネといいます。
私は昔から着物が好きで、息子の成長の節目には必ず着物をきており、小学校入学式も着物で行きました。
帰り道、ピカピカのランドセルを背負った息子は、「ねぇ、おかぁさん、マサムネの卒業式にも、お着物きてね。約束ね!」と、可愛い手でぎゅっと握ってきた温もりを今でも覚えています。
しかし、2017年9月、小学4年生の息子は、交通犯罪により私の目の前から居なくなってしまいました。
私は深い苦しみと悲しみの中で、ふと、息子が入学式に言っていた「約束」を思い出しました。卒業式には息子が大好きだった「虹」が描かれた着物で行こうと考え、インターネットで木越まり先生を見つけて連絡しました。
先生は「作らせて下さい」と泣いて言って下さいました。私は「息子と私に寄り添ってくれる人」だと思い、まり先生にお願いする事に決めました。
約1年かけて、じっくりと先生はデザインして下さいました。
「マサムネくんの名前を入れてみては?」というアイデアから、息子直筆の手紙を前裾に写し取り、五紋には息子が書道で書いた名前を入れました。
私は今後、これ以上の着物には出会えないと思っています。なぜなら「世界でひとつだけの、私とマサムネの想い」が描かれた着物だからです。
マサムネくんが書道で書いた自身の名前が五紋に(筆者撮影)
着物ファッションショーへの出演を終えた理絵さん(43)は、こう話してくださいました。
「スクリーンに投影されているマサムネの卒業式の写真を見たとき、突然、悲しみと、悔しさと、怒りが込み上げてきて、すぐに舞台へ上がることができませんでした。でも、着付け師の方や一緒に出演する人たちが、『マサムネくん、会場に座って待ってるよ!』そう言って、泣きながら背中を押してくださったんです。マサムネはいつも、『おかあさんは笑ってる方が可愛いよ』と言ってくれていました。だから私は、マサムネの母親らしくビシッとしよう、そう思って、笑顔で踏み出したのです」
『東京キモノショー』のファッションショーに出演し、虹の着物を披露した理絵さん(撮影/Hitomi氏)
■虹に見送られ、天国に旅立った息子のために
事故が起こったのは、2017年、9月半ばの夕方でした。
学校から帰宅した後、友達と一緒に自転車で出かけるマサムネくんを玄関先で見送った理絵さんは、その直後、聞いたことのないような大きな音を耳にしました。
驚いてすぐに駆け付けると、自宅からわずか30メートルのT字交差点に、マサムネくんと自転車が倒れており、少し離れた場所に、事故を起こした乗用車が止まっていました。マサムネくんは呼びかけても反応はなく、道路は血の海でした。
車にひかれたマサムネくんの自転車(理絵さん提供)
現場近くには保育園があり、この道路の最高時速は20キロに制限されていました。自動車運転死傷処罰法違反(過失致死)の罪で略式起訴された加害者の女性(当時57)は、自らの速度違反を認め、罰金70万円の処分が下されています。
しかし、事故から5年目に入った現在も民事裁判は終わっていません。虹の着物を身にまとい、笑顔で舞台に立っていた彼女が、今もわが子の事故の写真や調書と向き合いながら、過酷な闘いを続けている……、その現実を、いったい誰が想像できたでしょうか。
「マサムネは、虹が大好きな男の子でした。虹を見つけると、いつも喜んでいました。あの日、マサムネが救急車で搬送されているときも、空には見事な虹がかかっていました。そんなきれいな虹に見守られながら、マサムネは天国へと旅立っていきました」
理絵さんに、着物づくりに込めた思いを伺いました。
事故直前のマサムネくん。享年9歳、小学校4年生の2学期が始まったばかりの出来事だった(理絵さん提供)。
■深い悲しみを、世界にひとつだけの着物に込めて…
自分でいろいろ調べ、きものデザイナーの木越まり先生と出会いました。先生はときに涙を流しながら、私の悲しみに寄り添い、時間をかけて虹の図柄をデザインしてくださいました。そして一緒に、たくさんの色見本からひとつひとつ色を決めていきました。
でも、振り返れば私は、いつも『マサムネなら、どれを選ぶかな……』そう考えていたような気がします。
その作業はときに辛いものでもありました。
事故のフラッシュバック、裁判のこと……、精神的な辛さが重なり、先生とのお約束日にアトリエに行けない日もありました。
でも、先生はいつも優しく、「大丈夫、大丈夫」と励まし、「アトリエから虹が見えましたよ」と、虹の写真を送ってくださる日もありました。
虹の着物を制作した「加花」のきものデザイナー・木越まりさんと(筆者撮影)
マサムネの手紙を着物に写し取ることができると聞いたときは、とても画期的で驚きました。『絶対入れたい!』と思いました。でも、いざ入れるとなると、どの手紙を選ぶべきかでとても悩みました。
マサムネが今までにくれた沢山の手紙を引っ張り出して一通ずつ読むのですが、読むたびに涙が溢れ、マサムネが可哀想で、自分も死にたくなってしまうのです。ですから、その作業は本当に苦しかったです。
最終的にあの手紙を選んだ理由は、マサムネの人間性が一番凝縮されていると思ったからです。
下前の裾の部分には、マサムネくんが5歳のとき、母の日に書いた直筆の手紙が写しとられている(理絵さん提供)
実は、着物ショーへの出演は、着物の制作中に決まっていました。私が、「『マサムネという人間が生きていたことを、沢山の人に知って欲しいんです』」とお話したら、先生から出演を提案されたのです。
とはいえ、着物ショーという華やかな舞台に、事故の悲しみを抱えた私が出るのは相応しくないのでは……、という戸惑いの気持ちもありました。
でも、まり先生は、
「泣いちゃう人もいるかもしれないけど、きっと、たくさんの人の心にマサムネくんが残りますよ」
そう言ってくださったのです。
小学校入学の日。マサムネくんはおかあさんの着物姿が大好きだった(理絵さん提供)
着物ショーに出演し、客席の方へランウェイしたとき、涙をぬぐっている人たちの姿が私にもしっかり見えました。
「悲しみ、故人への想い、偲ぶ気持ちも、着物をとおして表現し、かたちに残すことが出来る」というメッセージは、きっと皆さんの心に伝わったのではないかと思っています。
突然、大切な人を奪われた悲しみへの寄り添い方……、そのかたちには人それぞれ、いろいろあると思います。
私の場合は、虹の着物にその思いを込めました。今はこの着物を通して、マサムネのことを多くの方に知っていただけることに大切な意味を感じています。
そしてこの先も、どんなかたちであれ、マサムネの存在を世の中に残すこと……、それが今の私を支えてくれている「使命」のような気がするのです。
*民事裁判の判決は、東京地裁立川支部にて9月1日に下される予定です。
<本件事故の詳細は下記の記事で紹介しています>
マサムネくんとともに虹の着物で出席した小学校の卒業式(理絵さん提供)