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時効直前、ひき逃げで異例の起訴「救護義務」の意味を問い闘い続けた両親の7年

2022.4.25(月)

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時効直前、ひき逃げで異例の起訴「救護義務」の意味を問い闘い続けた両親の7年

■7年前、高校入学を目前に命を奪われた長男

 その「花便り」が届いたのは、4月上旬のことでした。

『柳原さん、おはようございます。数はまだ少ないのですが、今年もミッキーの樹にコブシの花が咲きました。元気でいれば、春から社会人でした。今年の春は、そんな息子の姿を想像しながら花を見ました……』

 メールには、青い空を背景に咲く、真っ白な花の写真が添えられています。

 差出人は和田真理さん(50)。7年前、長野県佐久市の横断歩道で、当時中学3年生(15歳)だった長男の樹生(みきお)さんを交通事故で亡くした遺族です。

 メールはこう続きました。

『先月は命日もあり辛い日々でしたが、やっと少し落ち着いてきたところです。加害者のひき逃げ行為に対する刑事裁判の日程はまだ決まっておらず、認否もはっきりしません。でも、絶対『逃げ得』で済まされたくありません』

両親が「ミッキーの樹」と呼ぶコブシの木に、今年咲いた白い花(和田さん提供)

両親が「ミッキーの樹」と呼ぶコブシの木に、今年咲いた白い花(和田さん提供)

■酒を飲み事故。被害者救護せず、コンビニでブレスケアを購入した加害者

 今年1月26日、この事故は極めて異例の展開を見せました。
 長野地検は、樹生さんの7回目の命日を目前に、事故を起こした北佐久郡の会社員・池田忠正被告(49)を「道路交通法違反(救護義務違反=ひき逃げ)」の罪で在宅起訴したのです。

「ひき逃げ」の公訴時効は7年です。この時点で既に事故から6年10カ月。まさに時効直前、ぎりぎりのタイミングでの起訴でした。

 実は、今回の起訴に至るまでには、両親の筆舌に尽くしがたい努力がありました。
 現場での独自調査、目撃情報の収集や署名活動、検察庁への度重なる上申書提出、申し立て……、そうした日々の積み重ねをここで簡単に記すことはとてもできません。

 遺族が自ら、「ひき逃げ」での起訴を根気強く検察に求め続けてこなければ、この事故は間違いなくそのまま終わっていたでしょう。
(*本稿の最後に、7年間の主な出来事をまとめた年表を掲載しましたので、ご覧ください)

 母親の真理さんは語ります。

「被告は事故から約半年後、「自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)」の罪で、禁錮3年執行猶予5年(求刑禁錮3年4カ月)の判決を受けました。脇見運転などをして息子を死に至らしめたというのがその理由です。でも、私たちはその判決に納得できませんでした。酒を飲んで運転していた被告は、事故後、歩道に倒れている息子をすぐに救護するどころかその姿すら確認せず、コンビニエンスストアに向かいました。そして、飲酒の事実を隠したかったのか、ブレスケア(口臭防止商品)を購入し、その半量を口に入れてかみ砕いていたのです。自分では、119番通報も、110番通報もしていません。私たちは、こうした行為が救護義務違反に当たらないという理由がどうしても理解できなかったのです」

樹生さんをはねた加害者の車(和田さん提供)

樹生さんをはねた加害者の車(和田さん提供)

■80通を超えた、検察庁への意見書提出

 この事故については、2年前、以下の記事で取り上げました。

自宅前で奪われた息子の命「飲酒ひき逃げ」なぜ問われぬ? 悲しみこらえ訴え続ける両親の思い(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース(2020.11.25)

 2015年3月23日、池田被告はこの夜、午後8時頃から居酒屋で約2時間にわたって飲酒していました。同席していた仲間の調書には、『生ビールの他に男3人で焼酎を1本空けた』とありました。

 飲み会が終わって、二次会はボーリングに行こうということになり、被告は酒気帯びの状態であったにもかかわらず自らハンドルを握り、車を走らせます。
 事故現場まではわずか600メートルの距離でした。ちょうど塾から帰宅途中だった樹生さんは、自宅前の信号のない横断歩道を真ん中付近まで渡ったところで、右から中央線をはみ出し、時速約100キロの高速度で走行してきた被告の車にノーブレーキで衝突され、約50メートル撥ね飛ばされたのです。

 事故時の映像は、現場近くに設置されていた防犯カメラに記録されていました。そこには樹生さんとみられる小さな黒い影が高く撥ね飛ばされる瞬間のほか、事故後に車を道路わきに停め、コンビニの方に向かって歩く被告の姿も映っていました。
 この映像をもとに和田さん夫妻が作成した再現CGの動画は、上記記事の中で紹介しています。

 衝突によって大きなダメージを受けた樹生さんは、脳挫傷、緊張性気胸、頸椎脱臼、右腕開放骨折、心破裂などの重傷を負い、間もなく息を引き取りました。

志望の進学校への入学を目前に、自宅前の横断歩道で酒気帯びの車に撥ねられた和田樹生さん(筆者撮影)

志望の進学校への入学を目前に、自宅前の横断歩道で酒気帯びの車に撥ねられた和田樹生さん(筆者撮影)

「あの夜、凍えるような寒空の下、救急車が到着するまでなぜ20分以上もかかってしまったのか……。救護義務違反の対象となる時間とは、重傷を負った被害者が救護を求めていた時間です。1分1秒が救命率を左右します。樹生の人権、生命が最も尊重されるべきだと思います。それなのに、私たちの対応に当たった次席検事は、『理想的な行為を何かしなければ救護義務違反になるわけではない』と言ったのです。本当に辛く、苦しい日々でした」(真理さん)

 しかし、両親の信念と、強い思いは、7年たってようやく検察を動かしたのです。
 地検、高検、最高検に提出した書類は、計80通を超えたと言います。

■亡き息子の面影を、コブシの木の成長に重ねながら…

 和田さん夫妻は5年前、善光さんの生まれ故郷である信州に、『ミッキーの樹 広場』をつくり、15歳だった樹生さんの身長と同じくらいの大きさのコブシの木を植樹しました。

 この春、その木は2倍くらいの高さまで成長し、白い花を咲かせました。
 私もその木を見に行ったことがあります。「樹生」という名の通り、まさにこの木の中に樹生さんが生きているのではないか……。そんなことを想いました。

両親が信州に通いながら作った「ミッキーの樹 広場」。季節の花や樹木が植えられている(和田さん提供)

両親が信州に通いながら作った「ミッキーの樹 広場」。季節の花や樹木が植えられている(和田さん提供)

 居酒屋で酒を飲んだにもかかわらずハンドルを握り、速度違反を犯して死亡事故を起こした被告。本来なら「危険運転致死罪」に問われてもおかしくない事案です。しかし、呼気に含まれるアルコール度数が基準値に満たなかったことから、結果的に危険運転には問われず、「過失」として処理されました。
 基準値とは何でしょうか。それ以下だったからと言って、今回の事故に「アルコールの影響がなかった」と言い切れるのでしょうか。

 樹生さんはなぜ、あの日、あの場所で命を絶たれなければならなかったのでしょうか……。

 父親の善光さん(51)は、この7年間を振り返ります。

「春から始まる高校生活への希望を抱き、充実した日々を送っていた樹生の命は、15歳という若さで突然奪われてしまいました。その理不尽さ、無念さを思うと、これほど悲しいことはありません。樹生が元気なときは、我々が育ててあげたのだと思っていましたが、亡くなった瞬間、樹生が私たちに与えてくれたことの多さに気づかされました。あの日から7年が過ぎました。でも、樹生はいなくなってもずっと見守ってくれている……、樹生が残してくれたものを大切にしながら、残された私たち家族の絆はますます強くなった気がするのです」

事故の前年、15歳のバースデーケーキを前に。樹生さんにとって、これが最後の誕生日となった(和田さん提供)

事故の前年、15歳のバースデーケーキを前に。樹生さんにとって、これが最後の誕生日となった(和田さん提供)

■「救護義務違反(ひき逃げ)」の規範となる判決を…

 事故を起こした後、すぐに被害者を救護せず、救急車も呼ばず、コンビニに行って口臭防止商品を購入し、かみ砕いた被告。この行為が、なぜ今まで「救護義務違反」とみなされなかったのか……。

 事故から7年経ち、ようやく始まる「ひき逃げ」での初公判を前に、善光さんは、今回の刑事裁判にかける思いをこう語ります。

「事故を起こしたら『直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護する』 これは道交法に明記された規則であり、ドライバーとして当然の義務です。この裁判では、『直ちに』救護されなければ、救えたかもしれない命が失われてしまうということを判示し、救護義務違反の規範となるような判決を出していただきたい。そして、ひいては飲酒運転や交通死亡事故全体に関する見直しにつながってほしいと思っています。7年かかって、ようやくひき逃げでの起訴に至りました。今回の裁判は、親として樹生にしてやれる最後のつとめだと思っています。だからこそ絶対に、あいまいには終わらせたくないのです」

 被告の行為は、「救護義務違反(ひき逃げ)」に当たるのか否か……。裁判所の判断に注目したいと思います。

樹生さんが倒れていた場所に佇み、現場の横断歩道を見つめる和田さん夫妻(筆者撮影)

樹生さんが倒れていた場所に佇み、現場の横断歩道を見つめる和田さん夫妻(筆者撮影)

<資料>

【和田樹生さん死亡事故の経緯と主な出来事】

<2015 年>

3 月 23 日:事故発生

6 月 5 日:過失運転致死で起訴

9 月 7 日:過失運転致死について禁錮 3 年執行猶予 5 年の判決

  13 日~:控訴と実刑を求める署名活動(最終署提出数 42540 筆)

  24 日:不控訴 長野地検佐久支部

12 月頃~:独自に調査を開始

<2017年>

5 月 16 日:長野地検に告訴(速度違反、飲酒、救護義務違反他)

<2018 年>

2 月 7 日:道路交通法違反(速度超過)・道路運送車両法違反(装飾板)で起訴

7 日:地検佐久支部救護義務違反不起訴(嫌疑不十分)

9 月 6 日:上田検察審査会申立 救護義務違反(救護措置、事故報告義務違反)

<2019 年>

1 月 25 日:上田検察審査会 不起訴不当議決

3 月 18 日:判決 (速度超過 公訴棄却・道路運送車両法違反 無罪)

3 月 22 日:控訴を求め長野地検に上申書を提出

   26 日:東京高検に上申書を提出、面会

   27 日:長野地検が控訴しない方針を明らかに

   27 日:長野地検が救護義務違反(救護措置、事故報告義務違反)不起訴 →その後も上申書提出、面会等行う

<2020 年>

1月 31日:道路運送車両法保安基準の細目に無罪判決装飾板適合しない旨明記

3月 27 日:民事裁判一審判決(速度時速 108 、救護義務違反他認められる)

9月 17 日:東京高検に救護義務違反不服申立 → 取り下げ(地検再捜査)

<2021 年>

1 月 14 日:民事控訴審判決 → 同年 6 月 上告取り下げ

<2022 年>

1 月 26 日:救護義務違反(救護措置、事故報告義務違反)在宅起訴

【救護義務違反(ひき逃げ)に関する道路交通法の条文】

第二節 交通事故の場合の措置等(交通事故の場合の措置)

第七十二条

交通事故があつたときは、当該交通事故に係る車両等の運転者その他の乗務員(以下この節において「運転者等」という。)は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。この場合において、当該車両等の運転者(運転者が死亡し、又は負傷したためやむを得ないときは、その他の乗務員。以下次項において同じ。)は、警察官が現場にいるときは当該警察官に、警察官が現場にいないときは直ちに最寄りの警察署(派出所又は駐在所を含む。以下次項において同じ。)の警察官に当該交通事故が発生した日時及び場所、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及びその損壊の程度、当該交通事故に係る車両等の積載物並びに当該交通事故について講じた措置を報告しなければならない。