「4月6日、息子が天国へ行きました…」台湾バイク事故、脳死大学生と母の45日
2021/4/9(金)
台湾に滞在中の林里美さん(51)から、今週、残念な知らせが届きました。
「4月6日の昼すぎに、俊徳は天国に行きました。とても頼もしく、頼り甲斐のある、優しい息子でした。親孝行でもありました。でも、最後にとんでもない悲しさを家族に与えて、逝ってしまいました」
メールは、さらに続きます。
「事故直後から脳死と診断され、いつ亡くなってもおかしくない状況の中、ここまで生きていられたのは、本人に一番未練があり、無念だったからだと思います。毎日、泣きながら一人で病院に行きましたが、見ているのが辛く、事故後の日々は本当に地獄でした。でも、ヤフーの記事がきっかけで現状を伝えることができ、俊徳の友人をはじめ、本当に多くの方から励ましのメールや情報をお寄せいただきました。また、台湾では何人かの日本人の方と直接会うことができ、すごく助けられています。本当にありがとうございました」
■コロナ禍の中、海外の留学先で交通事故に遭った我が子
この事故の経緯は、3月15日に以下の記事でお伝えしました。
「息子が、今、脳死状態です…」台湾でのバイク事故。母が求める情報提供(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース
台湾で起こったバイク同士の交通事故で脳死状態となった大学生の俊徳さんを取り上げた、3月15日付のYahoo!ニュース(筆者撮影)
新北市の峠道でバイク同士が衝突。相手のライダーは即死、俊徳さんは脳死状態で病院のICUに運ばれるという事故でした。
ニュース映像には、直後の凄惨な現場が映し出されています。事故原因は捜査中ですが、バラバラに破損した双方のバイクからは、その衝撃の大きさが見て取れます。
事故直後の事故現場。左のスクーターが俊徳さんのバイク。衝突は俊徳さんの走行車線上で発生したとみられている(林さん提供)
<事故を伝える台湾のテレビニュース>
事故の知らせを受けた両親は、すぐに台湾へ駆け付けたい気持ちでした。しかし、新型コロナウイルスの影響で、外国人の受け入れは厳しく制限されています。
そんな中、事情を汲んだ台湾政府の計らいで、事故から4日後、母親の里美さんだけが、自宅のある横浜から台湾に入国できることになりました。そして、台北のホテルで2週間の隔離措置を受け、俊徳さんを見舞っていたのです。
脳死状態となった俊徳さんの病室で手を握りしめる母の里美さん(林さん提供)
■脳死の過酷な現実と向きい合いながら
コロナ禍、しかも言葉の通じない異国でたった一人、脳死を宣告された我が子に向き合う時間はどれほど辛いものだったでしょうか。
里美さんから初めてのメールを受け取ったのは3月8日のことでしたが、それから約1か月間、LINEで続けたやり取りは、まさに緊張の連続でした。
里美さんは電話の向こうで、ときおり嗚咽を漏らしながら、
「俊徳の顔は段々黒くなって、肌はカサカサで、肌がぼろぼろはだけてきています。怖いです……」
そう訴えました。
病院から「生命維持装置を外すこともできる」と告げられた日には、こんなメールが届きました。
「現状維持が子どもへの優しさなのだろうか。消極的治療をして、弱っていく姿を見ているのがいいのだろうか。ここは日本ではない、台湾だからこそ提案された、生命維持措置を外すという選択に同意すべきか否か……、正解がわからないのです」
俊徳さんの走行方向から見た事故現場(林さん提供)
道路中央に転倒しているのは、即死した相手のライダーのバイク(林さん提供)
■リモートでつないだ家族や友人との最期の時間
新型コロナウイルスの影響で、面会時間はもちろん、里美さんの行動も制限されていました。しかし、4月1日に俊徳さんの心拍数が下がり、危険な状態になってからの最期の数日間は、病院ももう面会時間を制限せず、家族や友人とリモートでつながる時間が持てたと言います。
里美さんは語ります。
「高校時代の友人や先生が、リモートの動画で、毎日病室にいる俊徳に語りかけてくれました。受験を目指し一緒に勉強してきた友人、俊徳の中国語力を劇的にアップさせてくれた中国からの転校生。亡くなる前日には、親戚、家庭教師、少年野球時代の監督や野球の仲間も電話でつながってくれました」
最後に語り掛けてくれたのは、小学校からの幼馴染みでした。
インターネットを利用して、台湾の病院に入院中の俊徳さんに語り掛ける幼馴染みの友人。この翌日、俊徳さんは帰らぬ人となった(林さん提供)
「私と彼が話しているとき、俊徳の目に涙がたまっていました。『ね、俊徳泣いてない?』って話をして、涙をふいて、最後の会話の写真を撮り、『俊徳、またな』って、いつもと同じ笑顔で、手を振って電話を切りました。きっと、まだまだ会いたい人がいたことでしょう……」
しかし、2月21日に発生した事故から45日目、とうとうその日はやってきました。
台湾大学法学部に入学してわずか7か月、林俊徳さんは18歳という若さで息を引き取ったのです。
「死後、俊徳は角膜を提供するために臓器移植の手術を受けました。俊徳なら、きっと喜んで提供をする子だと思ったからです。願わくは、俊徳の角膜を提供された方が、素敵な景色をたくさん見たり、楽しい体験をしたりしていただきたい……、その手助けになってくれればと思います」(里美さん)
生前の俊徳さん(林さん提供)
■留学生に知ってほしい、海外での交通事故のリスク
3月15日に発信した上記ヤフーの記事には大きな反響があり、フェイスブックでのシェア数は8000件近くにのぼるなど、SNSで広く拡散されました。
また、同記事は台湾の新聞でも取り上げられ、それを見た地元のテレビ局や新聞社も里美さんに取材をし、報道されました。そのため国内外から、さらにさまざまな情報が寄せられたのです。
里美さんや私のメールにメッセージをくださった方々には、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
現在、俊徳さんは台湾の葬儀社の冷蔵庫の中に安置されています。「火葬をしてから帰国をすれば」という意見もありましたが、里美さんはきっぱり断り、遺体にエンバーミング(防腐)の処置を施して、父親や弟が待つ日本へ連れて帰ることを決めています。
それでも、コロナ禍の今、問題は山積です。里美さんが台湾の検察とのやり取りをある程度終えてから帰国しても、今度は日本で2週間の隔離期間を経なければならないため、通夜や葬儀はゴールデンウィーク明けになりそうです。
里美さんは語ります。
「事故の本格的な処理はこれからです。今は警察、検察に、この事故の真実を見極め、きちんとした司法判断をしてもらいたいと願うばかりです。ただ、親としては、異国の地でいろいろなことを経験してほしいと我が子を送り出したのに、このようなかたちで突然失う悲しさは受け入れ難いものがあります。送り出したことは間違っていなかったと信じながらも、後悔し、心の安定が保てないでいます。日本の学生も、海外に飛び立つ子が多くなっている中、交通事故にも注目していただき、どうぞ学生さんたちに警鐘を鳴らしていただければと思います」
2021年の年賀状。家族4人そろっての最後のハガキとなった。右が俊徳さん(林さん提供)
<両親より、俊徳の友達のみなさんへ>
あの事故で俊徳の持参していたカメラが破損し、画像が全てなくなってしまいました。現在も、俊徳がなぜ、何を目的にあの場所に行ったのかわかりません。俊徳は台湾で何に興味を持ち、バイクでどこに行っていたのか。2月21日の行動を知っていたら教えて下さい。
また、最近やり取りをしていた友達がいれば、俊徳がどんなことを話していたのか、何でもいいので教えて下さい。中学校時代の日本のお友達、先輩、後輩、俊徳と繋がって最近もやり取りをしていた人がいたらぜひ連絡をください。よろしくお願いします。
我正在尋找信息/如果有人知道林俊德在台灣的日常生活,興趣愛好與他的個性或者任何關於他的瑣碎的信息都可以。如果有人可以把他在SNS上留下的足跡,訊息,照片等分享給家屬,我會很感激。
●事故発生
2021年2月21日(台湾 中華民国110年2月21日) 午後2時半頃
●事故現場
新北市新店区北宜路三段210巷
●情報提供先
BYZ07014@nifty.com (林俊徳の母/林里美のメールアドレス)