炭化した夫の左手に握られていた結婚指輪 美女木JCT追突炎上事故から1年、妻が語るあの日【後編】
2025.4.8(火)
2024年5月14日午前7時半頃、首都高速・美女木ジャンクション付近(埼玉県)で、7台が絡む多重衝突事故が発生しました。
大型トラックが減速せず渋滞の列に突っ込み、玉突き状態となった車のうち3台の乗用車が爆発炎上。中から3人が遺体で発見され、現場は丸1日にわたって通行止めになるほどの大事故でした。
【朝日新聞/2024.5.14の動画ニュースより】
あの惨事から間もなく1年、夫が事故に巻き込まれ命を奪われたという2人のご遺族から、私のもとに相次いで連絡が寄せられました。
何の落ち度もないのに、一瞬にして炎にのまれた被害者たち。突然、最愛の人を失った家族は、あの朝からの日々をどう過ごし、これから始まる刑事裁判を前に何を思うのか……。
本稿では、【前編】お父さんが作った最後のハンバーグ… 美女木JCT追突炎上事故から1年、妻が語るあの日【前編】(柳原三佳) - エキスパート - Yahoo!ニュースに続き、この事故で亡くなった被害者の一人である杉平裕紀さん(42)の妻・智里さんにお話を伺います。
<被害者・杉平裕紀さんの妻・智里さんへのインタビュー/後編>
■どうしても探したかった…。夫の結婚指輪
本件事故で死亡した被害者の身元がなかなか判明しない中、私にはひとつだけ、どうしてもあきらめられないものがありました。それは、結婚してから20年間、主人が一度も外したことのない、プラチナの結婚指輪でした。
車は激しく炎上し、遺体の損傷も激しいと聞いていましたが、もしかしたら焼けた車両の中にあの指輪が残っているかもしれない……。事故の検証が終わり、車が廃棄処分にされる前に、なんとか探したいと思ったのです。
私はそれから、毎日のように警察にお願いしました。「私が軍手をはめてそちらへ伺いますので、どうか警察署で保管されている事故車の中を探させてください」と。
すると、5月22日、高速隊の方から「指輪が出てきました」という電話が来たのです。おそらく、私が何度も指輪のことを言っていたからでしょう。「ご遺体の指の方を探させていただきました」そう言われました。
高速隊の方には、大切な指輪を探していただき、本当に感謝しかありませんでした。
高速隊が遺体から探し出し、妻の智里さんのもとに帰ってきた裕紀さんの結婚指輪(遺族提供)
主人の左手は黒く焦げた状態でギュッと固まっており、その手をちょっと崩して広げたら、結婚指輪が握られていたそうです。指輪の内側にはたしかに、私たちが結婚した日付とお互いのイニシャルが刻印されていました。
結果的に、この指輪とDNA鑑定の結果が決め手となって、翌5月23日、この遺体は主人であることが正式に判明しました。この時点で事故から9日が経過してました。
■事故から13日後、やっと会えた夫は…
主人にようやく会うことができたのは、それからさらに4日後、5月27日のことでした。
遺体を引き取るため、警察署へ出向いたのですが、警察の方と葬儀屋さんには、「会わない方がいい」と説得されました。でも、私自身が前に進むために、どうしても会いたいとお願いをして、主人と対面しました。
想像はしていましたが、それは辛い状況の遺体でした。
主人は顔も体も炭化し、真っ黒焦げの状態でした。でも、どんな状態であっても、「やっと会えた」「主人もどんなに家族に逢いたかっただろう」いう気持ちがこみ上げました。私は、
「裕紀おまたせ。一人で辛かったね、寂しかったね、迎えに来たよ……」
そう声をかけながら、両手で頬に触れ、包み込み、その手でとめどなく流れ落ちる涙を拭いました。私の手も、そして顔も、炭で真っ黒になりました。
焼損は激しく、目も、鼻も、皮膚もすべて消滅していました。でも、わかるんですね、これ、主人の歯と顔だなって。
それでもやっぱり、顔がないので現実とは思えず、いまだに主人の死を受け入れることができないんです。
息子と娘にとっては、主人は本当に尊敬する唯一無二の大好きなお父さんでした。主人の気持ちを考えたとき、最後にこの姿を子どもに見せるのは嫌じゃないかと思って、子どもたちには包帯で巻いた状態のお父さんとお別れしてもらいました。
でも、後日、二人は「現実を直視したい」「受け入れたい」と言い、調書の中にあったお父さんの写真を全て見ました。
故人の顔が確認できないまま死を受け入れるというのは、とても残酷なことでした。精神的な不安と闘いながら、主人がいない中、どこに向かって進んでいけばよいのか、私たち家族は未だにわからないままでいます。
事故から数か月後、智里さんは警察署に保管されていた事故車を確認。焼け落ちた運転席に花を供えた(遺族提供)
■「危険運転で起訴してほしい」遺族の思い
事故を起こしたトラック運転手・降籏(ふりはた)紗京容疑者(当時28)は、2024年12月12日、過失運転致死傷罪で起訴されました。
遺族らは捜査関係者から、
「事故の数日前から38度を超える発熱があり、風邪薬を服用、睡眠不足や他の体調不良も続いていたため衝突のかなり前からふらついて運転しており、数百メートル手前から意識を失ったまま、時速75~80キロ、ノーブレーキで渋滞の最後尾に衝突した。
このような場合は、そもそも車の運転は控えるべきであり、運転中に正常な運転に支障を生じるおそれがあると感じた際には、直ちに運転を中止すべきだった」
との説明を受けました。
智里さんは事故から半年後、検察官に宛てて、以下のような内容の陳述書をしたためていました。
『通勤途中の高速道路、渋滞でただ止まっていただけなのに、夫は突然命を奪われました。42歳、これからいろいろやりたいことがあり、子どもたちの成長を見守り、人生のさまざまな節目を経て、幸せな日々を家族一緒に歩んでいくはずでした。
子どもたちはまだ中学生と高校生なのに、これから先、父親がいない一生を送らなければなりません。経済的にも大黒柱だった夫がいなくなり、子どもたちなりに進学の不安を抱えています。
私自身もこの先、夫以外との再婚は全く考えていないため、一生一人きりの人生となります。
トラックという、ひとつ間違えば凶器となる大型車を操ることを軽く考え、身勝手な運転で3人もの命を奪った犯人が憎くてたまりません。今回の事故で、被害者3名の命だけでなく、残された家族の人生も狂わされ、殺されました。犯人はそのことを重く考えるべきです。
また、犯人には体調不良だけでなく、他にも問題行為があったと聞いています。本件は、過失運転致死罪ではなく危険運転致死傷罪で起訴してください。
犯人を雇用する運送会社も、事故当日の朝の点呼や従業員の健康管理を怠った責任は重大です。本人の自己管理ができていないことは言うまでもありませんが、従業員を総括する会社の責任者も危機管理ができていないと思います。ですから、犯人だけではなく、マルハリという運送会社も起訴されることを願います。
どうか私たち家族の無念を晴らしてください。私たちは検察官しか頼りになれる人はいないのです。二度と同じ過ちが起こらぬよう一緒に闘ってください。よろしくお願いします』
降旗被告が自身のFacebookにアップしていた事故を起こす前のトラック。現在は削除されている(遺族提供)
間もなく事故から1年、現在に至るまで、加害者からも、加害者の雇用会社からも遺族への接触は一度もなく、謝罪の言葉は何ひとつありません。
また、事故直後は多くのメディアで本件事故が取り上げられましたが、その後の報道はなく、智里さんは『このままではこの重大事故が風化してしまうのではないか……』という不安を覚え、辛い記憶をたどりながら私にお話ししてくださいました。
あの日、ニュースで見た激しい炎の映像、その映像向こうには、2週間も遺体と対面できなかったご遺族がおられたこと、そして、焼損被害の過酷さを、私自身あらためて知ることになりました。
降旗被告は自身のFacebook(2024年12月31日付)に、『2月に大きな事故をしてしまい職場に多大なるご迷惑をおかけしてしまった』と書き込んでおり、少なくとも大事故を起こしたのは、今回が初めてではないことが見て取れます。
なぜ、この事故は起こったのか、未然に防ぐことはできなかったのか、そして、危険運転致死傷罪への訴因変更は行われるのか。
初公判は近々開かれる予定です。
●前編はこちらをご覧ください。
お父さんが作った最後のハンバーグ… 美女木JCT追突炎上事故から1年、妻が語るあの日【前編】(柳原三佳) - エキスパート - Yahoo!ニュース>
葬儀は事故から19日後、6月2日に執り行われた(遺族提供)