ジャーナリスト・ノンフィクション作家 柳原三佳オフィシャルサイトHP

ジャーナリスト・ノンフィクション作家 柳原三佳オフィシャルHP

ついに下った「聴覚障害児の逸失利益は健常者と同等」の画期的判決、遺族と長年敵対したのは被告でも裁判所でもなく

2025.2.13(木)

JBpressはこちら

ついに下った「聴覚障害児の逸失利益は健常者と同等」の画期的判決、遺族と長年敵対したのは被告でも裁判所でもなく

 2018年2月、てんかん発作のホイールローダーにはねられ死亡した井出安優香さん(当時11)。民事裁判では、生まれつき聴覚障害のあった安優香さんの逸失利益をめぐって争いが続いていたが、2025年1月20日、大阪高裁は「全労働者の平均賃金の85%」とした一審の大阪地裁判決を変更し、100%を算出基準とする判決を下した。障害児の逸失利益を健常児と同じとする判断は今回が初となる。事故から7年、なぜこれほど長い闘いが続いたのか、そして、両親はいま何を思うのか。本件裁判の取材を続けてきたジャーナリスト・柳原三佳氏が話を聞いた。

これまでは「聴覚障害者の能力は健常者に及ばない」が“常識”だった裁判所の判断

 これまでの交通事故判例を大きく覆す画期的な判決が、2月5日に確定しました。

 大阪高裁の徳岡由美子裁判長は、7年前の事故で亡くなった聴覚障害女児が将来得られるはずだった収入「逸失利益」について、「当然に減額する程度の労働能力の制限があるとはいえない」とし、一審の大阪地裁が下した15%減額の判決を0%に変更、つまり、障害がない子どもと同じ基準で算定すべきとして、被告に100%の賠償を命じたのです。

(参照記事)〈事故死の聴覚障害児の逸失利益 大阪高裁が「健常児の100%」と初判断〉(産経新聞 2025.1.20)

 以下、判決文からその根拠となった一文を抜粋します。

〈安優香の中枢系能力は、平均的なレベルの健聴者の能力と遜色ない程度に備わり、聴力に関しても、性能が飛躍的に進歩した補聴器装用に併せて、一定程度不足する聴力の不足部分を手話や文字等の聴力の補助的手段で適切に補うことにより、支障なくコミュニケーションができたと見込まれるから、安優香は、聴覚に関して、基礎収入を当然に減額するべき程度に労働能力の制限があるとはいえない状態にあるものと評価することができる〉

〈本件事故当時においても、将来、障害者法制の整備、テクノロジーの目覚ましい進歩、さらには聴覚障害者に対する教育、就労環境等の変化等、聴覚障害者をめぐる社会情勢や社会意識が著しく前進していく状況は予測可能であった〉

 高裁判決直後の記者会見で、父親の努さんは涙をぬぐいながらこう語りました。

「娘が亡くなってから、ずっと泣いてきました。が、娘のことで泣くのは今日で最後にしたいと思います。弁護団の先生方や大阪聴力障害者協会の支援者の方、また、たくさんの署名に賛同して下さった方々に心よりお礼申し上げます。安優香も晴天の空から、皆様に『ありがとう』と言っていたと確信しています」

遺族を苦しめた被告側の差別的な主張

 安優香さんが亡くなってから7年、裁判はようやく終結し、結果的に大変意義のある判例を残しました。しかし、ここで忘れてはならないのは、当初の被告側(実質的には保険会社)の初回提示が、確定判決とは比較にならないほど低額で、一方的かつ差別的な内容だった、という事実です。

 この問題については4年前、以下の記事でレポートしました。

(参考)〈障害あっても努力家だった娘の人生、なぜそんなに軽んじる あまりに非道、「逸失利益は聞こえる人の40%」の被告側主張〉(JBpress 2021.6.9)

 安優香さんの父親・井出努さんは、本稿の中でこう訴えていました。

「被告側は、娘が聴覚障害者だったことを理由に、逸失利益(生涯の収入見込み額)を、聞こえる女性労働者の40%まで減額すべきだと主張してきました。『聴覚障害者には、9歳の壁、9歳の峠、という問題があり、聴覚障害児童の高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、小学校中学年の水準に留まる』というのがその理由です。(中略)こうした差別的な主張は、障害を持つ全ての人に対する侮辱です。私の娘だけではなく、障害者の将来を否定することにつながり、絶対に許すことはできません」

 翌2021年、被告側は裁判の途中で突然、当初の「女性労働者の40%」という主張を撤回し、「聴覚障害者の平均賃金による金額(=聞こえる人の60%)」に変更してきました。しかし、大阪高裁は今回、そうした主張をすべて却下し、全労働者平均賃金の100%を認めたのです。

最後の誕生日(11歳)お父さんと(井出さん提供)

最後の誕生日(11歳)お父さんと(井出さん提供)

 判決が確定した2月5日、井出さんから電話が入りました。この日は奇しくも、7年前、安優香さんの葬儀が行われた日でした。

 井出さんは、これまでの長い苦しみを振り返りました。

「民事裁判が始まる前、弁護士からは『裁判は逸失利益を争点に争うことになる』と聞いていたので、私は、『聴覚障害があってもひとりの人間の命として見て欲しい』と伝えていました。しかし、実際に裁判が始まると、相手側は『9歳の壁』という理論を持ち出し、一方的に聴覚障害者の能力や可能性を否定し、大幅減額を主張してきました。その日から私は、このような差別的な発言をした事実を相手に後悔させ、必ず安優香の前で謝罪させてやると決めたのです」

 その後、新聞報道をきっかけに、聴覚、視覚に障害のある弁護士を含む、大弁護団が結成され、大阪聴力障害者協会の支援も始まりました。するとまもなく、被告側は当初の主張を撤回し、主張を変えてきたのです。それを聞いたとき、井出さん夫妻は怒りがこみ上げたと言います。

「聴覚障害者の逸失利益は健常者の40%」という加害者側保険会社の主張に、遺族側は強く抗議した(遺族提供)

「聴覚障害者の逸失利益は健常者の40%」という加害者側保険会社の主張に、遺族側は強く抗議した(遺族提供)

「撤回、という言葉を聞いたときは、『そんな都合のいい話があるか!』と怒りがこみ上げました。これまで差別発言に苦しめられ、二次被害を受けてきた私たち遺族の苦しみをいったいどう考えているのか。撤回するならきちんと謝罪すべきだし、何より、発言に責任を持てないのなら初めから言うべきではありません。そもそもこの事故は、安優香に落ち度はまったくなかったのです。加害者としての反省や誠意とは、いったい何なのでしょうか」

差別発言をした張本人は誰なのか

 事故から7年、判決がようやく確定した今、井出さんは最後にはっきりさせたいことがあると言います。それは、『9歳の壁』の理論を持ち出して、安優香さんの11年間の努力を踏みにじり、逸失利益の大幅減額を主張した「張本人」は誰なのか、ということです。

 ちなみに、前出の記事〈障害あっても努力家だった娘の人生、なぜそんなに軽んじる あまりに非道、「逸失利益は聞こえる人の40%」の被告側主張〉で、筆者はこう指摘していました。

〈民事裁判での「被告」は、あくまでも加害者と加害者を雇用していた会社の代表です。しかし、交通事故裁判の場合、現実には、加害者側が加入している任意保険会社の考え方が前面に出てきます。つまり、井出さんが闘っているのは、事実上、保険会社であると言っても過言ではありません〉

 そしてこのとき、本件の加害者側が加入していた任意保険会社である三井住友海上にも質問しました。そのときの回答は以下の通りです。

〈お客さま(被告)にかかわる個別のご契約につきましては、守秘義務がございますので、回答は差し控えさせていただきます。係争事案は、個別の事情に応じて法廷でご判断されるものでございますので、法廷を尊重する立場から、一般論の回答を差し控えさせていただきます〉

 万が一のとき、被害者に十分な賠償ができるようにと加入している自動車保険。しかし、現実には本件のような低額提示が横行しており、大半の被害者遺族が、そのまま示談に応じているのが現状です。

 本件の場合は、安優香さんの両親が裁判で最後まで闘い抜きましたが、判決確定まで7年もの歳月がかかった根本の原因は、まさに被告側による一方的な賠償額の算出にあったのではないでしょうか。

 井出さんは語ります。

「すでに裁判は終わり、判決は確定しました。私は最後に、『9歳の壁』の理論を持ち出して、娘への差別発言をしたのは具体的に誰だったのかをはっきりさせたうえで、謝罪を求めたいと考えています」