立憲新人議員、テキーラがぶ飲み・無免許運転の外国人に息子を殺された過去、理不尽な司法判断に呻吟、奮起し国会へ
2024.11.24(日)
11月11日、第215特別国会が召集され、国会議事堂には先の衆議院選挙で当選した議員たちが、午前8時の開門を待って次々と登院しました。今回は3年前の選挙より2名多い99名の新人が当選。その中に、4回目の挑戦で初当選した眞野哲氏(63/立憲民主党)の姿がありました。
10月28日未明、比例代表(東海ブロック)で当選を確実にした直後、眞野さんは電話でこう語りました。
「うどん屋の息子だった私には地盤も何もなく、国政への挑戦は無謀ともいえるものでした。でも、この12年間、あきらめないで本当によかったと思っています。国会議員になったからには、目標のひとつである被害者庁の発足に向け、できる限りのことをしていきます」
13年前、ハロウィンの夜に起こったあの痛ましい出来事……、理不尽な司法の判断に打ちのめされながらも、制度の改正を訴え続けてきた眞野さんの闘いを間近で見てきただけに、気迫に満ちたその声を聞いたときは感極まるものがありました。
眞野さんはなぜ、自身が国会議員になってまで被害者庁なるものを作りたいと考えたのか。そこにはどんな思いがあるのか。眞野さんとの出会いを振り返りながら、お話を伺いました。
飲酒・無免許・無灯火・一方通行逆走のブラジル人に
眞野さんからの初めてのメールがHP経由で私のもとに届いたのは、今から12年前、2012年1月のことでした。
〈初めまして、名古屋市に住む眞野哲(マノサトシ)と申します。昨年10月30日、自転車で横断歩行を走行中の長男・貴仁(19歳)が、飲酒、無免許、無車検、無保険、一方通行を無灯火で逆走してきたブラジル人の車にひき逃げされ、亡くなりました。時速約100キロで衝突された息子は自転車もろともはね飛ばされ、大量の血を流して倒れていたにもかかわらず、加害者は救護どころか車から降りもせず、クモの巣状に割れたフロントガラスの隙間から前をのぞきながらアクセルを踏み込みました。そして、民家の塀に車をぶつけ、タイヤをバーストさせた状態でさらに逃走。約1時間半後に逮捕されました。病院で対面したとき、息子の頭がい骨は大きく陥没し、いたるところから血が流れ出て、まさに地獄絵図のようでした。おそらく自分が死んだことも理解できないまま逝ったのではないかと思います……〉
事故で命を奪われた眞野貴仁さん(眞野哲氏提供)
貴仁さんが乗っていた自転車。前輪も後輪もフレームもぐにゃりと曲がってしまっている(眞野哲氏提供)
犯人が乗っていた車。前輪がバーストしているが、なおも車で逃走を図った(眞野哲氏提供)
それでも「危険運転致死傷罪」でなく「過失運転致死傷罪」
あまりの内容に驚き、思わずメールを何度も読み返しました。
私自身、長年にわたって交通事故の取材を続けてきましたが、日本の交通ルールをあざ笑うかのようにことごとく法規を無視していたこの加害者の悪質さは、これまでに出会った数多くのケースの中でも、間違いなく「最悪」といえるものでした。
しかし、続きのメッセージを読み、さらに愕然とさせられました。なんと本件は、『危険運転致死傷罪』(最高懲役20年)ではなく、より刑の軽い『過失運転致死罪』(最高懲役7年)で起訴されたというのです。
〈なぜこの事故が過失なのか? 名古屋地検には何度も危険運転で起訴すべきだと訴えました。しかし、返ってくるのは、「本件には危険運転にあたる要件はひとつもない」という答えでした。「たとえ飲酒していたことが事実でも、逮捕されたあと片足でまっすぐに立てた」「逆走は危険運転には当たらない」「無免許でも、長い間乗っていれば技術がある」検察官はそんな屁理屈を繰り返すのです。実は、加害者はハロウィンパーティーでテキーラ6杯、ビール3杯を飲み、別のパブへ移動する途中、他の車と衝突事故を起こして逃走中でした。これではまさに、「逃げ得」ではないでしょうか……〉
このとき、すでに初公判は済み、第2回公判は20日後に予定されていました。「危険運転致死傷罪」で立件するための構成要件がかなり厳しいことは、過去の事例から十分に理解しているつもりでしたが、これほどの違反を重ねた悪質な死亡事故が、なぜ危険運転に該当しないのか、私には検察が遺族に説明したその理由が解せませんでした。
すぐに電話を入れると、眞野さんは声を振り絞るようにこう言いました。
「柳原さん、私はただ遺族感情を振りかざして、加害者を厳罰にしろと言っているんじゃありません。交通事故にはどうしても避けられないような不幸な事故もあるはずです。私も普段、仕事で毎日のようにクルマを運転しますから、死亡事故だからと言って、すべて厳罰化だ、懲役だと言うつもりはないのです。でも、今回の息子の件は、どう考えてもうっかり事故なんかじゃない。加害者は酒を飲んでハンドルを握った、それ以前に無免許です。クルマを運転する資格がないんです。それはもう、過失では済まされないと思うんです」
眞野さんはその後も、危険運転への訴因変更を求め、何度も検察に訴えました。しかし、結果的に「過失」のまま懲役7年の実刑判決が下されたのです。
貴仁さんがはねられた横断歩道に立つ父親の眞野さん。加害者は写真手前から奥に向けて、制限速度2倍以上のスピードで一方通行を無灯火で逆走し、ひき逃げをした(筆者撮影)
事故現場に立てられた目撃情報の提供を呼び掛ける看板(眞野哲氏提供)
亡くなった息子の夢を追うことが生きる希望に
眞野さんが国政を目指そうと決めたのは、まさに、このときの悔しい経験がきっかけだったといいます。
「私は息子の死を通して、交通事故の刑罰が他の犯罪と比べて軽すぎる現実を突き付けられました。これは何とか変えなければと思い、法律の壁に立ち向かう決意をし、テレビや新聞等の取材にも積極的に応じ、政治家にも働きかけ、署名活動をしたり、全国で講演活動をしたりしました。と同時に、こうなったら自分自身が国政に出て、次の被害者遺族のために役立つことができれば、と思うようになったのです。とにかく、長男の命を無駄にしたくない、その一心でした」
そしてもうひとつ、眞野さんが国政への挑戦と共に自身に課した課題、それは亡くなった貴仁さんの夢を叶えることでした。
眞野さんは語ります。
「私は父親から、『うどん屋の息子は大学に行く必要はない』と言われ、高校を出てすぐに働き始めました。その後、結婚して男の子3人の子宝に恵まれたのですが、自分が大学に行けなかったので、子供たちには何とか行かせてやりたいと思い、頑張ってきました。
その長男が、教員を目指して大学に入学し、わずか半年であの事故が起こったのです。私は夢も希望も未来もなくして、何から手を付けたらいいのかさえわかりませんでした。そんな中、漠然と、自分が息子の夢を叶えようと思い立ったのです」
すでに眞野さんは50歳を過ぎていましたが、一念発起して大学に入学。卒業後は大学院まで進み、日本福祉大学実務家教員になったのです。
「長男の夢を追いかけながら必死に学ぶことで、あの地獄のような日々をなんとか乗り越えられたのだと思っています」
償いは一切なし、「約束」を破ってブラジルに帰国した犯人
実は、眞野さんは一度だけ、刑務所に収監中の加害者と面会したことがあります。それはわずか20分間の会話でした。
そのときの加害者とのやり取り、そして、このとき加害者と交わした約束はどうなったのか……、それについては、『真冬の虹 コロナ禍の交通事故被害者たち』(柳原三佳著/若葉文庫)に掲載されています。
同書の第10章『贖罪とは』から、一部抜粋します。
「彼はグレーの刑務服に身を包み、刑務官に連れられて、私の前に現れました。身長193センチと大柄で、頭は丸坊主でした。その姿を見たとたん、『こいつが息子を殺したんだ……』と、なんとも言えない感情がこみ上げました。(中略)私はまず、『いま、どういう気持ちなんだ?』とたずねました。すると彼は、『申し訳ない』と言いました。『では、刑務所を出たら、息子に謝罪に来るように、そして少しずつでもいから、きちんと賠償して誠意を見せるように』そう言うと、『わかった、一生かけて償う。約束する』と言いました。私はそんな彼の言葉を信じ、『約束だぞ』と、面会室のクリアボード越しに、グータッチをして別れたのです」
『真冬の虹―コロナ禍の交通事故被害者たち』(柳原三佳著、青葉文庫)
しかし、「男同士の約束」は、あっけなく反故にされてしまいました。加害者は出所後、一度も眞野さんに連絡を取らず、謝罪も、1円の賠償もすることなく、母国ブラジルへと帰国したのです。
眞野さんは加害者が収監中に民事裁判を起こし、約4000万円の損害賠償を認める判決をとっていました。しかし、逮捕時の所持金7000円で、無保険だったこの男に賠償能力があるはずもなく、その判決文が紙切れに過ぎないことは、最初から承知の上だったといいます。それでも、できる限りの誠意を見せてほしい、そう思っていたのです。
犯罪被害者給付金制度の対象にならない犯罪被害者や遺族がたくさんいる現実
民事裁判の判決は10年で時効を迎えます。それを有効にしておくためには、再度提訴する必要があり、そのためには被告の現住所が不可欠です。しかし、出所後、彼の行方がわからないため、現時点ではそれすらできないのです。
「本当に理不尽です。そもそも、賠償義務を負った外国籍の被告を、なぜ原告に一言の通知もなく帰国させてしまうのか。現状の法律ではなにひとつケアできていないんです。国として外国人を受け入れるなら、最低限のルールをつくってほしいと強く思いましたね」
国は『犯罪被害者給付金』という制度をつくりました。しかしその対象は、『殺人などの故意の犯罪行為により不慮の死を遂げた犯罪被害者の遺族、または重傷病、もしくは傷害という重大な被害を受けた犯罪被害者』が対象で、眞野さんのように『過失』による交通事故の遺族は対象ではありません。
「日本の中には私たちのように救済から取り残された被害者がいったいどれくらいおられるのでしょう。おそらく、声を上げられる人はごく一部ではないでしょうか。北欧のスウェーデンとノルウェーには犯罪被害者庁があります。すでに議論が起こっていますが、わが国にもそうした省庁を作り、真の被害者救済に取り組むことが必要です。このことを私の目標のひとつに掲げ、活動していきたいと思っています」
初登院した眞野哲氏(眞野哲氏提供)
どれほど月日が経とうと、理不尽な事故で我が子を亡くした悲しみは癒えることがないという眞野さん。奇しくも現在、法務省では「危険運転致死傷罪」の罰則の改正や法整備についての検討会が行われています。また、外国人労働者の受け入れについても議論が高まっています。自身の過酷な体験から湧き出た諸問題を、国の仕組みにどう反映していくのか、今後の取り組みに期待したいと思います。