これが幕末のサムライが使ったパスポート第一号だ!
『開成をつくった男、佐野鼎』を辿る旅(第11回)
スリランカの首都・コロンボで大規模な爆破テロが発生し、日本人女性を含む多くの方が犠牲となりました。
ちょうど1年前、私は取材で同地を訪れていました。スリランカののどかな雰囲気と現地の方々の優しさに触れ、ぜひもう一度ゆっくりと旅をしてみたいと思っていただけに、今回のことは大変ショッキングな出来事でした。
「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」は、幕末、今回のテロの現場となったスリランカ(当時のセイロン島)に立ち寄っています。1860年の「万延元年遣米使節」に続き、1861~1862年の「文久遣欧使節」にも加わり、ヨーロッパ諸国を歴訪。その途中、シンガポール経由でセイロン島にも寄港していたのです。
明治維新の6年前に、日本のサムライたちがインド洋を航海していたことはあまり知られていませんが、佐野鼎がセイロン島から江戸で待つ友人に宛てた手紙は、現在も残っています。その内容については、またの機会にご紹介したいと思います。
Japan Business Pressに連載いたしますので、ご覧ください。
これが幕末のサムライが使ったパスポート第一号だ!
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(第11回)これが幕末のサムライが使ったパスポート第一号だ!
【連載】
(第11回)これが幕末のサムライが使ったパスポート第一号だ!
(第14回)151年前の冤罪事件、小栗上野介・終焉の地訪問記
(第15回)加賀藩の採用候補に挙がっていた佐野鼎と大村益次郎
(第16回)幕末の武士が灼熱のパナマで知った氷入り葡萄酒の味
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(第24回)幕末に水洗トイレ初体験!驚き綴ったサムライの日記