子孫が米国で痛感、幕末「遣米使節団」の偉業
『開成をつくった男、佐野鼎』を辿る旅(第3回)
今でこそ、外交交渉はテレビやネットで中継され、両国首脳の些細な表情までがリアルタイムで映し出されるようになりました。先日も、トランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長のランチが突然中止になったときには、ニュース速報が流れるほどの騒ぎになっていました。
しかし、今から約160年前の幕末には、もちろんそんな通信手段はありません。幕府の使節が初めて正式にアメリカに出向き、大統領と「日米修好通商条約」の批准書を交わしたという大きな出来事も、当時の日本人はほとんど知ることはなかったでしょう。
Japan Business Pressに連載いたしますので、ご覧ください。
子孫が米国で痛感、幕末「遣米使節団」の偉業
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(第3回)子孫が米国で痛感、幕末「遣米使節団」の偉業
【連載】
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