幕末に初めて蛇口をひねった日本人、驚きつつも記した冷静な分析
『開成をつくった男、佐野鼎』を辿る旅(第52回)
2021.6.13(土)
新型コロナウイルスの感染拡大によって、飲食業をはじめとするさまざまな業種が苦しい経営を強いられています。しかし、その一方で、「新型コロナ対策」という名のもと、順調に売り上げを伸ばしている製品もあります。
そのひとつが「自動水栓」です。
感染症対策で「自動水栓」の需要増加
手を差し出せば自動的に水が出てくるこの製品は、ウイルスが付着した手で蛇口のカラン(レバー)をひねる必要がないので、感染対策には非常に有効だとされています。
実際に、洗面所の蛇口を介してクラスター感染が発生したケースも報告されており、東京都をはじめとする多くの自治体では、公共施設で自動水栓への入れ替え作業が進んでいるようです。
6月8日にはこんなニュースも報じられました。
新型コロナ対策中心に総額約72億円 6月補正予算案を発表【佐賀県】(サガテレビ)https://www.sagatv.co.jp/news/archives/2021060806178
佐賀県では保育園・幼稚園、高校などの県有施設や私立学校などでの感染リスクを抑えるため、子供たちが集団で過ごす場所の水道の蛇口を自動水栓に切り替えることになったというのです。その費用として2億6000万円の補正予算が計上されるそうで、これもまさに、新型コロナ需要のひとつと言えるでしょう。
新型コロナ対策でますます普及が進む「自動水栓」(TOTOミュージアムにて筆者撮影)
幕末に蛇口をひねって湯を出したサムライがいた
さて、今や日本の水道普及率はほぼ100%となり、蛇口から水やお湯が出てくることはもちろん、自動水栓も珍しくなくなってきましたが、長い歴史を振り返れば、各家庭に水道が引き込まれたのは「つい最近」と言っても過言ではありません。
昭和30年代の前半には、水道の普及率はまだ50%にも達していなかったとか。当時は井戸や、共同の水道を使っていたのですね。
ちなみに、日本で初めて一般向けに水道栓が開設されたのは今から134年前、明治20(1887)年です。この年、横浜の道路のわきに共同栓が設置され、市井の人々は初めて、「レバーをひねれば水が出る」という利便性を享受できるようになったわけです。
実は、日本に水道栓ができるよりもっと前の江戸時代に、「蛇口から水や湯を出す」という体験をしたサムライたちがいました。
その一人が、本連載の主人公である「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」です。
幕末の1860年、日米修好通商条約の批准書を交わすため、幕府から差し向けられた「万延元年遣米使節」。77人の使節団の一員だった佐野鼎は、ワシントンで宿泊したウィラード・ホテルのバスルームで、初めてその「仕掛け」を見たときの驚きを、自身の日記に詳細に記していました。
佐野鼎たちが宿泊したウィラードホテルの地下通路は今も160年前の面影を残す(筆者撮影)
米国で「蛇口」を詳細に観察していた佐野鼎
では、佐野鼎の『訪米日記』より、その箇所を抜粋してみましょう。
まずはバスタブの観察から入り、当時の日本の湯舟と比較しています。
<浴室及び厠は各層にあり。浴室の湯壺は、長さ六尺餘(約2m)・方二尺餘(約70cm)の箱にして、内面はブリキにて張り、底の一方に栓を設けること、此の方(*日本)のものと同じく・・・>
1860年、ウィラードホテルのバスタブと2つの水栓を描いたイラスト(『加藤素毛世界一周の記録』より)
続いて、壁から突き出た銅のパイプから水や湯が出ることについて、こう記しています。
<一方の壁の方に銅樋二個ありて、一つは水を出し、一つは熱湯を出す。各螺子(ねじ)栓をもって開閉すべし。温度は浴者の意に任ず>
もちろん、当時の日本にはカランをひねれば水や湯が出るような設備はどこにもなく、「蛇口」という言葉も存在していませんでした。そこで佐野鼎は、水を出したり止めたりするカラン(レバー)について「螺子栓(ねじせん)」という日本語を当て、説明していたことがわかります。
加藤素毛が写生した、ウィラードホテルの洗面台。ここにも2つの水栓が描かれている(『加藤素毛世界一周の記録』より)
「この湯および水源も、勝手の蒸気仕掛けなり」
さらに、アメリカ人が浴室に内側から鍵をかけて、一人ずつ入浴する習慣があることにも意外な驚きを感じていたようです。
佐野鼎は、その入浴方法についても、以下のような興味深い記述を残しています。
<彼の邦(*アメリカ)の俗、膚肌を他人に見せることを男子といえども甚だ恥とす。一度入湯するや、その汚濁の湯を直ちに抜き去り、栓を閉じ、壁上の銅樋より湯および水を受け、何度にても随意に浴す。この湯および水源も、勝手の蒸気仕掛けなり>
壁の内部にはりめぐらされた銅製のパイプ、その中をどのような仕組みで水や湯が通り、各部屋に供給されているのか。そこに「蒸気」の力が働いていることも、佐野鼎は見逃していませんでした。
鎖国の時代、米軍艦に乗って初めて訪れたアメリカ。その地のホテルで、水や熱湯が欲しいままに出てくる給湯システムを目の当たりにした使節団は、まだ水道すら普及していない日本との文明や衛生の格差について、どのように感じたことでしょう。
そして、いつしか「螺子栓」なるものも必要のないセンサー式の自動水栓が世の中の主流となり、160年後のパンデミックで、日本の製品が海外から引っ張りだこになることを、想像していたでしょうか。
叶うことなら、聞いてみたい気がします。
佐野鼎の『訪米日記』から69年目にあたる昭和4(1929)年、総理官邸に施工された外国製の高級バスとシャワー水栓(TOTOミュージアムにて筆者撮影)
【連載】
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