日本人の大航海、160年前の咸臨丸から始まった
『開成をつくった男、佐野鼎』を辿る旅(第27回)
ポーハタン号の模型(小栗上野介の菩提寺「東善寺」にて、筆者撮影)
1月13日は、江戸幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」が、アメリカへ向けて品川を発った出港記念日です。
今からちょうど160年前、1860年(安政7)の出来事です。
この艦には、軍艦奉行・木村摂津守、教授方頭取・勝麟太郎(勝海舟)、福沢諭吉や中浜万次郎(ジョン万次郎)といった日本人96名のほか、11名のアメリカ人が乗り込んでいました。
日本の艦として初めて太平洋の横断に成功し、サンフランシスコ港にたどり着いたことで知られています。
実は、「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」が記した『訪米日記』の中には、咸臨丸に関する記述がたびたび登場します。
日本人の大航海、160年前の咸臨丸から始まった
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