日本初の「株式会社」、誰がつくった?
『開成をつくった男、佐野鼎』を辿る旅(第9回)
「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一(1840~1931)が、新一万円札の顔となることが発表され、改めて脚光を浴びています。90余年の生涯の中で、なんと500を超えるさまざまな会社の設立に関わったというのですから、凄いことですね。
幕末に生まれ、15代将軍・徳川慶喜に仕えていた渋沢が実業家に転身したのは、明治6年、大蔵省を辞めてから後のことです。
「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」も、明治5年に兵部省を辞め、教育に専念する道を選んでいます。方向性は異なるものの、明治新政府の官僚という地位を捨て、方向転換したという点では、渋沢栄一も佐野鼎も、よく似た経歴の持ち主といえるでしょう。
佐野は1829年生まれですので、渋沢より11歳年上です。明治維新の年には、40歳と29歳、互いに、幕末期に外国への訪問経験がある数少ない人材として、おそらく何らかの交流があったのではないかと思われます。
Japan Business Pressに連載いたしますので、ご覧ください。
日本初の「株式会社」、誰がつくった?
【JBPress(連載記事)はこちら】
(第9回)日本初の「株式会社」、誰がつくった?
【連載】
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