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自賠責紛争処理機構が行っていた「被害者切り捨て」、違法行為を改めさせた弁護士の戦い(後編)

後遺障害を抱える被害者の「新証拠」を門前払い、損保業界の論理に染まっていた被害者救済機関

2024.6.14(金)

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自賠責紛争処理機構が行っていた「被害者切り捨て」、違法行為を改めさせた弁護士の戦い(後編)

 交通事故の被害者を保護、救済することを目的に組織された「自賠責保険・共済紛争処理機構」が、約10年前から「違法」ともいえる運用で被害者に不利益を与えていたことが発覚した。それに気づき、裁判まで起こして是正させた札幌の青野渉弁護士に、この1年の闘いと、損保業界の変わらぬ払い渋り体質について、自賠責保険問題の追及を続けるジャーナリスト・柳原三佳が聞いた。

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いつの間にか失われていた設立当初の理念

柳原 紛争処理機構と言えば、交通事故の被害者を保護、救済するために作られた組織です。にもかかわらず、法を無視し、被害者が再審査すらしてもらえず不利益を被っていたとすれば大問題ですね。

青野 おっしゃるとおりです。紛争処理機構は、2001(平成13)年、自賠法(自動車損害賠償保障法)の改正にともなって設立されました。

 そのきっかけのひとつとなったのは、柳原さんが『週刊朝日』(朝日新聞社)で連載された記事でした。「被害者救済のために作られた自賠責保険なのに、その査定が加害者(損保会社)寄りで、証拠が精査されておらず、被害者にとって不利な運用がなされている」という告発は、当時、社会問題化され、結果的に法改正までこぎつけました。

 その意味で私は、紛争処理機構の“生みの親”は、柳原さんだと思っています。国土交通省に宛てた「行政処分の求め」にも、そのことを明記しました。

柳原 そのように言ってくださり、恐縮です。

 私が「こんな自賠責保険ならいらない」という告発ルポを『週刊朝日』に連載したのは1997年のことでした。一連の記事が出てまもなく、当時の運輸省(現・国土交通省)が自賠責の査定方法を改善するよう通達を出し、その後、わずか3年で自賠法の改正につながっていったときは自分でも驚きました。

青野 あのとき立ち上げられた紛争処理機構は、「被害者のために充実した調査を行い、事実認定を適正化する」という謳い文句のもとで業務をスタートさせました。新証拠の受理はもちろん、紛争処理業務規程には「申請者の申出があれば、本機構が独自の鑑定等を実施する」とまで明記されています。

 ところが、当初の理念はいつの間にか消滅し、ついには、被害者の出す新しい証拠すら受け付けない、という「被害者切り捨て」ともいえる運用になってしまったため、何としても元に戻さなければならないと思ったのです。

裁判で和解、こちらの主張は全面的に受け入れ

柳原 それで、青野先生ご自身が原告となって紛争処理機構を相手に提訴されたわけですね。裁判の結果はどうだったのですか。

青野 2024年4月24日、札幌地方裁判所民事第1部で和解が成立しました。

 被告(紛争処理機構)側が、「機構の運用は、業務規程の解釈として無理があり、被害者への対応として不十分だった」と認めたうえで、「今後はその運用を廃止し、二度と再開しない」と約束し、裁判長からも「全て青野弁護士の言うとおりに運用が改善されたので、和解をしてはどうですか」と勧告がありましたので、和解に応じることにしました。

「新証拠を審査の対象としない運用」は、2013年11月6日にはじまり、2023年8月1日からは、「新証拠も審査の対象とする運用」に変更したとのことです。

青野渉弁護士

青野渉弁護士

柳原 青野先生のご主張が全面的に認められたということですね。すごいことです。

青野 アクションを起こした成果はあったと思います。この件についてはすでに、裁判で和解が成立する前に国土交通省から紛争処理機構に対して行政指導が行われており、機構のWEBサイト内「理事長メッセージ」にも掲載されています。また、専務理事のメッセージの中でも、今回の運用改善の経緯に触れ、それに伴う相談対応窓口の電話番号も掲載されています。

過去にさかのぼっての救済も

柳原 私も紛争処理機構のWEBサイトを確認しましたが、『不利益を受けた可能性がある申請者の方を対象に、自賠責保険・共済紛争処理機構として対応が可能かどうかのご相談を無料電話(0800-111-2966)にて受け付けています』と、はっきり記載されています。

 つまり、これまで切り捨てられ、適正な保険金を得ることができなかった可能性のある被害者を、過去にさかのぼって救済しますということですね。

青野 そのとおりです。ただでさえ辛い思いをされている交通事故の被害者が、紛争処理機構の誤った対応によってさらに長期にわたって苦しめられ、救済されていないとすれば、大変深刻です。

柳原 自賠責による後遺障害の等級認定は、結果的に任意保険の支払いにも影響を及ぼし、トータルの損害賠償にも大きな差が出るのではないでしょうか。

青野 はい、かなりの差が出ます。結果的にAさんの場合は、他の後遺障害とあわせて「併合9級」の認定を受けることができましたので、その後、民事訴訟も提起し、自賠責保険と任意保険から合計で3300万円ほどの賠償金を受領しました。

柳原 もしあきらめていれば、泣き寝入りですね。

損保業界出身者が仕切っていた紛争処理機構

青野 私がこの裁判等を通してあらためて知ったのは、紛争処理機構の受付等の事務を取り仕切るトップ(専務理事)が損害保険料率算出機構の出身者の指定ポストで、しかも申請の受付等を担当する事務局員の多くは、保険会社や損保料率算出機構の出身者だということです。

 このことは、被害者の利益を軽視した今回の運用と無関係ではないと思っています。

 設立時の国会審議では、「損保業界はカネは出すが運営には関与せず、中立公正な組織にする」という説明でしたが、実情はかなり違うようです。

柳原 被害者の異議申し立てを却下すれば、最終的には任意保険からの保険金支払い、つまり損保会社としての損害を抑えることにつながります。私はかつて、その理不尽さを追及したわけですが、結果的に四半世紀が過ぎても損保業界の体質は変わっていないような気がします。

 私は、今回の件を受け、なぜ2001年の発足当時の理念を失い、このような運用を行ったのかを紛争処理機構に直接質問したところ、以下のような回答が返ってきました。

<紛争処理機構の回答>

 平成15(2003)年度以降、紛争処理申請件数は増加の一途をたどり、平成23(2011)年度には1000件を超える規模となりました。この間、担当者の増員や紛争処理委員の人数増員を行うなどの対応を行いましたが、件数増加のスピードには追いつくことができず、平均処理日数が次第に悪化をしていく状況が続きました。 そのような状況において、紛争処理業務の破綻を回避し、業務の適正な遂行を維持していくためには、①自賠責未提出資料のある案件は、自賠責保険が当該資料を踏まえて再度判断することで、直ちに紛争が解決する可能性があること、②自賠責保険への異議申立後に紛争処理申請をしていただくことで「自賠責未提出資料」が受け付けられ、申請機会を直ちに奪うことにはならないことを踏まえ、自賠責保険での再度の判断を受けるよう教示することが迅速・適正な紛争解決につながるものと判断し、平成25年11月にホームページの記載を改定し、運用を変更しました。

青野 被害者からの紛争処理申請が多いということは、それだけ損保料率算出機構の判断に不満のある被害者が多いことを意味しているのですから、本来、中立公正な機関であるべき紛争処理機構は「もっと充実した審理をしよう」と奮起すべきです。

 やるべきことは、多数の事件を解決すべく、予算や人員を強化するよう政府や損保業界に働き掛けることのはずですが、それとは逆に「事件を減らしたい。ウチでやらなくても、損保料率算出機構がちゃんとやるからいいだろう」という発想で、自分たちの存在意義を否定するような運用をはじめてしまいました。この点に本質的な問題があるように思っております。

運用変更の周知を

柳原 本当に、青野先生にはよくここで食い止めてくださったと感謝しております。

 今回の運用変更について、弁護士会などに告知したかを紛争処理機構にたずねたところ、「日弁連交通事故相談センター本部とも打ち合わせを行っており、広く弁護士の方々に周知されるような対応を検討しています。また、弁護士以外で申請代理人として紛争処理申請に関わる可能性のある士業の団体(司法書士会、行政書士会)の周知についても、今後取り組む予定です」との回答がありました。

青野 その点は、民事訴訟の和解でも「弁護士会等を通じて、利用者に今回の問題を周知させる」という和解条項を入れたので、実行してくれたものと思います。

 業務規程の文言を読めば、誰が見ても「新証拠を受け付けない」などという運用が、規程違反であることはわかるのですが、弁護士の間でもこの問題はあまり知られていません。

 もし、過去に、紛争処理機構に新証拠の提出が認められずに不利益を受けた方がいたら、上記のフリーダイヤルに相談されることをおすすめします。

 私だけでは、ここまでの成果は難しかったと思います。この件については、交通事故の被害者団体も問題視して、2023年8月に、交通事故の被害者団体4団体の連名で、荒井ゆたか衆議院議員を通じて、国土交通省に申し入れをしています。

 その後、衆議院国土交通委員会の神津たけし議員も、この問題に関心をもってくださり、2023年11月10日の国会審議では紛争処理機構の運用の問題点について国土交通省に質問をしてくれました。機構はもともと被害者の声で設立された団体ですから、こうした被害者からの意見は、無視できなかったのだと思います。

柳原 さまざまな方のご尽力があったのですね。この記事が弁護士や被害当事者など多くの方の目に触れ、万一誤った判断がなされている場合は、是正されることを祈りたいと思います。ありがとうございました。