「揺さぶり虐待」疑われた母親の無罪確定 戻らぬ6年半、CT誤読した医師と検察への思い
2021.7.9(金)
「我が子への揺さぶり虐待など、絶対にしていません!」
一貫してそう訴えていたにもかかわらず、長期間子どもと引き離され、2015年9月に殺人未遂容疑で逮捕。その後、傷害罪で起訴された一人の母親(当時34)。
一審の大阪地裁では懲役3年執行猶予5年の有罪判決、二審の大阪高裁では逆転無罪判決が下されましたが、大阪高検が上告し、最高裁で審議されていました。
そして、2021年6月30日、決着がつきました。最高裁第3小法廷は高検の上告を棄却し、無罪が確定したのです。(下記ブログ記事参照)
*『SBS検証プロジェクト』ブログ(秋田真志弁護士/7月2日)
無実を訴えながらも、被疑者として法廷で厳しい追及を受けてきた彼女は、約6年半にわたる過酷な歳月を振り返り、今、何を思うのでしょうかーー。
お話を伺いました。
「揺さぶられっ子症候群(SBS)」
英語では、Shaken Baby Syndrome、略して「SBS」と表記されたり、Abusive Head Trauma(虐待性頭部外傷)を略して「AHT」とされたりすることもある。厚労省作成の虐待マニュアルでは、赤ちゃんの頭部の外表に目立ったケガなどが見られないにもかかわらず、①硬膜下血腫、②網膜出血、③脳浮腫という3つの症状があれば、「大人による暴力的な揺さぶり=虐待によるもの」だと推測してよいという理論。しかし近年、この理論の科学性に疑問の声が上がっている。
■始めから「過失致傷」の罪で逮捕してほしかった…
――ようやく無罪判決が確定しましたね。本当に長い間苦しまれたと思います。
京子(仮名) 「これまでずっと裁判を傍聴していただき、たくさんのお力添えをありがとうございました。そして、無実を信じて闘ってくださった弁護士さんや、法廷で証言してくださった脳神経外科医の先生方には本当に感謝しています」
――今、どんなお気持ちですか。
「7年近く続いた『被告人』という立場から、ようやく解放されたはずなのですが、あまり実感がありません。今世での名誉回復は二度とないと思っているからかもしれません。頑張って生まれてきてくれた長女が生後1か月でこのようなことになってしまったのは、母親である私の責任です。たとえ無罪が確定したとしても、手放しで喜ぶことはできませんし、あの日のことは悔やんでも悔やみきれません。非難を浴びて当然だと思っています。この辛さは、年月とともに薄まっていくというより、むしろ年を重ねるごとに心が破壊されていくのを実感しています」
――自宅で起こった落下事故で、けがをしたお子さんへの責任を感じておられるのですね。
「はい。親としての過失は絶対にありますので、逮捕するなら、始めから過失致傷の罪で逮捕してくれればどれだけよかったかと思えてなりません。ただ、検察は、私が殺意を持って長女に強い揺さぶりをしたと主張してきたのですが、それだけは絶対にありません。過失と言われれば甘んじて罪を受けます」
親子4人で撮った最後の写真(当事者提供)
■児相による親子分離、「殺人未遂」での逮捕
――これまで、一番辛かったことは何でしたか。
「娘への虐待を疑われ、当時2歳半のお兄ちゃんまで児童相談所に保護されたときですね。突然、2人の子どもと会うことができなくなってしまって……」
――娘さんだけでなく、お兄ちゃんとも会えなくなってしまったのですね。
「はい。私はもう、どうしてよいのかわからず、子どもたちのことが心配で心配で、寂しくて、子どもの消えてしまった部屋で生きていることが耐えられないという気持ちでした。でも、『私は絶対に虐待などしていないのだから、少し調べてもらって真実さえわかれば、子どもはすぐに返されるはず……』そう信じて、警察には記憶の通り説明をしていました」
――ちょうどクリスマスのころでしたね。
「1ヵ月半前に娘が生まれて家族が4人になり、主人は11月に早々とクリスマスツリーを買ってきてくれていました。私も子どもたちへのプレゼントを用意していたんです。でも家族4人で迎えるはずだった初めてのクリスマスは、長男がどこにいるのかも知らされず、入院中の娘と面会することもできませんでした。そして、年が明けて、息子の3歳の誕生日になっても、私たちのもとに子どもが帰ってくることはなかったんです」
――結局、お兄ちゃんが先に家に戻ってくるまで、9カ月もかかったそうですね。その間、どんな気持ちで過ごされていたのですか。
「主人が出勤した後、たった一人の部屋で、絶望的な気持ちになりました。このまま死んでしまえたら、どれほど楽だろうと思ったこともありました。でも、私が死んでしまったら、子どもたちが帰ってきたときに会うことができなくなるのだと、自分に言い聞かせて、毎日、泣きながら待つことしかできませんでした」
――事故から9カ月後、京子さんは殺人未遂の容疑で突然逮捕されました。あのときは、メディアが警察のリーク情報などをもとに事前に隠し撮りをしていたようで、テレビでは動画も流れ、顔出しで実名報道されましたね。
「2015年9月のことでした。私自身、なぜ逮捕されたのかまったく理由がわかりませんでした。報道はその日にされたようですが、私自身はそのまま警察の留置場に勾留されたので当日は見ていません。でも、今もネットには残っているみたいです」
京子さんが殺人未遂の疑いで逮捕された当日のニュース映像。実名、動画入り(放送時はモザイクなし)で報道された(家族提供)
■長女が重篤化した本当の原因は「誤嚥による窒息」の可能性
――今回のことで、どうしても伝えておきたいことがあるそうですね。
「はい。たしかに長女の頭のケガは、当時2歳の息子が抱き上げて落としてしまったことが原因で起こりました。でも、重篤化したのは、そのときにミルクの誤嚥窒息が起こったからだと思っています。以前にも誤嚥したことがあり、私はあの日も、誤嚥によって呼吸が止まってしまったのだと思い、慌てて救急車を呼んだのです」
――誤嚥によって呼吸が止まってしまい、低酸素脳症になったということですか。
「そうだと思います。実際に、裁判が始まって初めて捜査記録を見ることができたのですが、最初に救急で娘を診てくださった医師は、当時のカルテに 『誤嚥性の窒息による低酸素脳症』とはっきり書いていました」
――病院では誤嚥性の窒息による低酸素脳症という説明はされなかったのですか?
「説明はありませんでした。第一回公判のときにカルテを見て初めて分かったのです。それなのに、検察側が意見を求めた小児科医が長女の症状について「揺さぶられっ子症候群(SBS)」だと主張すると、救急の医師はそれに同調するように最初の診断内容を変え、裁判では『SBSによるケガだ』と、証言をひるがえしたのです。私たち夫婦は、長女を救急車で病院に運んだ直後から、誤嚥による窒息だと思っていたので、検察から『揺さぶられっ子症候群による虐待』という主張が出たときは、あまりにも唐突で、信じられませんでした」
一審の有罪判決後に行われた記者会見。京子さんの主任弁護人である秋田真志弁護士は「高裁では絶対に覆します」とその決意を語った(筆者撮影)
■検察側証人の小児科医が脳のCTを誤読
――結果的に裁判では、検察側が意見を求めた小児科医が脳のCTを誤読していたことが明らかになりましたね。
「医学的なことはよく分かりませんが、裁判では救急搬送直後の『誤嚥性の窒息』という所見を隠し、すべて揺さぶりのせいにしようとしていたようです。逆に、判決で揺さぶりの疑いが晴れた今、『重症化したのは長男が落としたせいだ』と思う方もいるかもしれません。でも、私も家族も、だれひとり、長男のせいだなんて全く思っていないんです。重症化したのはあくまでも、その後に起こった誤嚥が原因なのです。長男もいつか大きくなって、裁判のことを知るときが来るでしょう。もちろん、高裁の判決文をしっかり読めばわかることですが、この事件に関心を寄せてくださる方々にはぜひ真実をわかっていただきたいのです」
<争点と地裁・高裁の判断>
●裁判の争点は、長女のケガが「揺さぶられっ子症候群(SBS)」に該当するか否かでした。京子さんは一貫して無罪を主張しましたが、一審の大阪地裁は、検察側証人の小児科医らの証言を根拠に、「長女には急性硬膜下血腫があったため、成人に激しく揺さぶられた」と判断。そして、「当時自宅にいたのは母親と当時2歳の長男だけで、長女に暴行を加えることができたのは母親だけだった」として有罪判決を下しました。
●二審では弁護側の証人として脳神経外科医らが法廷に立ち、検察側の小児科医による脳の CT読影の根本的な誤りを指摘し、一審判決の根拠となった重要な「小脳テントの血腫」を明確に否定。それを受けた小児科医が、「小脳テントの血腫」についての自身の証言を、自ら「オーバー気味の読影だった」と撤回。「別に削除しても問題はないかな?と思っています」などと軽い口調で打ち消す場面もありました。
●大阪高裁の裁判長は小児科医のこの証言に対し「本件で有罪を導く推認の最も重要な基礎となるCT画像の読影に誤りがあったことを自認するものであり、到底見過ごすことができない」と厳しく指摘。長女が落下した際に急性硬膜下血腫を負った可能性もあると判断し、「揺さぶる暴行は認定できない」と結論付けたのです。
■ネット上での辛辣な誹謗中傷に苦しみながら
――裁判が終わった今、「揺さぶられっ子症候群(SBS)」という疑いをかけられたことについてどう思われますか。
「生まれて間もない赤ちゃんを揺さぶるなんて、考えたこともありませんし、そもそも、どうやって強く揺さぶるのか想像もできませんでした。『揺さぶり虐待だ』と断定した小児科医は、私にも子どもにも一度も会わず、何ひとつ事情を聴こうとせず、その上、CTを誤読して見当違いの判断をされました。そんなことに振り回されて、6年半もかかってようやく最初に戻って来た感じがします。もっときちんと捜査してくれていれば最初から分かったはずなのに……、本当に誰ひとり謝らないのですね。とても哀しくなります」
――ネットでは辛辣な中傷も飛び交っていますね。京子さんと同じく「揺さぶり虐待」を疑われた方の無罪が報じられたときには、ツイッターに「反児相活動家のクソ活動が結実したゴミ判決」とか「加害者に加担してるクソは医者やめちまえ」といった書き込みがなされたそうで、私の元にはショックを受けた関係者からその投稿を写した写真が送られてきました。
「はい、あれを見たときは驚きました。私もこれまで、裁判に関するニュースなどが出るたびに、ひどい誹謗中傷を目にしました」
―― 実際に、SBS理論を肯定する内科医と同姓同名の人物が、裁判中にもかかわらず、京子さんの画像をツイッターにアップし、攻撃的な書き込みをしてきたこともあったようですね。
「医師という立場の方が、本当にこのような書き込みをしたのだとすれば、残念です。最近は、ネットの中傷について開示請求の法改正も耳にするようになりました。悪質なものはどんどん特定して、人の心を傷つけるインターネットの書き込みがなくなっていけばいいなと思っています」
京子さんが最もショックを受けたというツイッター。裁判を取り上げた関西テレビのニュース映像をアップし、実在する医師の名前で書き込まれた。京子さんはスクリーンショットで保管しているという(京子さん提供)
上記ツイッターと同じアカウントからの投稿。「虐待でないものが紛れ込むことは織り込み済み」という書き込みが……。こちらも同じく京子さんが映る関西テレビの映像をアップしている(京子さん提供)
■「揺さぶり虐待」と断定した医師らに、今思うこと
――たしかに、児童虐待事件は現実に起こっており、そうした被害から子どもたちをいち早く救い出し、保護することは最優先です。子どもにケガが見つかった以上、虐待も視野にしっかり調べるのは当然です。一方で、専門外の医師の判断だけに頼った結果、事故や病気にもかかわらず虐待を疑われてしまった家族が、その後、どれほどの苦しみを味わっているか……。警察や検察、裁判官、そしてこの問題に携わる人たちすべてに「揺さぶられっ子症候群」を根拠にした訴追について、根本的に考え直していただきたいですね。
「本当にそう思います。ある新聞記事で、『無罪判決が出ることで、虐待に対応する現場に萎縮が広がらないか』という声も目にしましたが、そういう話ではないと思っています。今回の件では、信じ難いことですが、SBS以前にCTを誤読していたり、検察側が不利になる証拠として誤嚥窒息の所見を隠していたりということが明らかになりました。せめて、明らかになった誤りを認めて、より正しい診察ができるように繋げていただきたいです。そしてどうか、実際に虐待を受ける子どもたちも、冤罪の犠牲になる子どもたちも、どちらも救える医師になってほしいと心から願っています」
――ありがとうございました。
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一審では有罪、高裁では無罪。まったく異なる判決が下された、大阪の裁判所(筆者撮影)