「手が不自由でもiPhoneやiPadを使いたい!」障害者の切なる願いに応えた元パナソニックのエンジニア
2024.8.11(日)
パリ2024オリンピックもまもなく閉幕を迎え、8月28日からは「パリ2024パラリンピック競技大会」が12日間にわたって開催されます。今大会にはさまざまな障害のある選手が、世界中から4400人出場するとのこと。選手たちの頑張りはもちろん、障害を見事にカバーし、彼らの優れた身体能力を引き出す超高機能な補助用具にも注目が集まりそうです。
たとえば、義足や義手の形状や材質は、同じ陸上競技でも、短距離走、走り幅跳び、高跳びなど、競技によって異なります。車椅子も同様で、陸上、ラグビー、テニス、バスケット、それぞれに仕様は別。機能性はもちろん、安全性、耐久性を高めるために、日々、開発が行われているのです。
このような用具の進歩は、障害者スポーツにとどまらず、健常者にとっても大切な課題です。病気やケガ、高齢化等によって、人はいつ身体が不自由になるかわかりません。万一のとき、いかに前向きに日常生活を維持できるか……、パラリンピック観戦は、そうしたことにも思いを馳せるよい機会ではないでしょうか。
iPhoneやiPadを入力スイッチひとつで操作するには?
さて、皆さんはある日突然、毎日のように使っているiPhoneやiPadが使えなくなる、といった事態を想像したことがあるでしょうか。私はつい先日、指をけがして病院で包帯を巻かれたのですが、その瞬間から、iPhoneのタッチパネルがうまく操作できないことに焦りを感じました。
幸い、包帯の上から指サックをはめることで操作できたのですが、こんな小さなけがであっても、iPhoneが使えないことの不便さを痛感しました。万一、手指を切断するケガを負ったり、骨折などでギプスを巻かれたり、麻痺やけいれんで思い通りに指が動かせなくなったりした場合はどうすればよいのでしょう。いまや日常生活の一部となっているiPhoneやiPadが突然使えなくなるとなれば、相当なストレスを感じることでしょう。
でも、安心してください。実は、iPhoneやiPadには、手指が不自由になっても、たったひとつのスイッチで操作が可能になる「スイッチコントロール」というアクセシビリティ(Accessibility=利用しやすく便利な)機能が標準で搭載されています。つまり、タッチパネルの操作ができなくても、外付けのスイッチを接続し、動かせる部位を使って「押す」ことによって、いつもどおりにiPhoneやiPadを操作できるのです。
世の中に知られていないiPhoneの機能
意外と知られていないこの機能ですが、実は10年以上前のiOS7から搭載されています。その後、改善が重ねられ、現在ではかなり使いやすくなっているとのこと。
「設定」→「アクセシビリティ」と進めば、「スイッチコントロール」が出てきますので、一度確認してみてください。
しかし、「スイッチコントロール」を設定しただけでは不十分です。実際に手指の不自由な人がiPhoneやiPadの操作を行うには、それぞれの障害にあった入力スイッチを用意し、接続する必要があるのです(ちなみに、画面全体にタッチ、顔の向きや声をスイッチ代わりにする方法もあります)。
すでにさまざまな福祉機器メーカーから、iPhoneやiPadに接続するための「入力スイッチ」と「アダプタ」が販売されていますが、現状ではもうひとつ「分岐アダプタ」も必要となるため、こうした機器の扱いが苦手な人やお子さんには、複雑で扱いづらいという問題があるようです。これを解決するためには、1本のケーブルでシンプルに接続するのがベストなのですが、まだ、商品化されていません。
市場は小さくても、確実にニーズに応えるための開発
現在、そのアダプタ開発に取り組んでいるという、アクセスエール株式会社・代表の松尾光晴氏はこう語ります。
「スイッチコントロールの接続方法には『有線方式』と『無線方式』があります。少し専門的になりますが、従来のアダプタの場合、入力スイッチの信号をiPhoneやiPadに対応する信号に変換して入力するだけで、電源は別に供給しなくてはなりませんでした。ところが、iPhoneやiPadには接続端子はひとつだけしかありません。つまり、有線接続だと、電源を供給するためにどうしても『分岐アダプタ』を組み合わせる必要があるのです」
もちろん、無線(Bluetooth)接続にすれば接続端子は電源用に使えますが、操作の途中で接続が切れてしまう場合もあるため、どうしても『無線は使いにくい』という課題が残っていたそうです。そこで松尾氏が思いついたのは、有線であってもアダプタをひとつにして接続する方法でした。この方法なら手の不自由な方や、機器の扱いに慣れていない介護者の方々でも、簡単かつ安定した操作ができるはずです。
松尾氏は元パナソニックのエンジニアで、主に福祉部門において、声を出せない人向けの意思伝達装置や、障害者のためのテレビリモコンや入力スイッチなどを商品化してきました。この分野での商品開発に注力してきたのは、ご自身が父親をALS(筋萎縮性側索硬化症)で亡くしたことがきっかけだったそうです。
「徐々に身体が動かなくなり、言葉が発せなくなる父の苦しみ、そして自宅で7年間介護を続けた母の苦労を間近で見てきました。そうした体験もあって、パナソニックに入社後は障害者用のさまざまな機器の開発に取り組んできました。しかし、福祉機器は一般の製品と比べると市場がはるかに小さく、利益が出るものではないため、大企業としてはどうしても限界がありました。そこで、2020年に独立し、福祉分野におけるIT機器の導入支援に力を入れていこうと決意したのです」(松尾氏)
従来方式に比べ利便性が格段に向上
では、「1本のケーブルでシンプルに接続する」というのは具体的にどのようなもので、これまでと何が違うのでしょうか。以下の図は、「従来のアダプタ」と「開発中のアダプタ」の接続方法の違いを比較したものです。
アダプタの構成図
外付けのスイッチコントロールによって、iPhoneやiPadがどうやって操作できるのか? そのイメージについては、以下の動画をご覧ください。
現在、アクセスエール社では、1本のケーブルのみで機器と接続するためのアダプタの開発資金を、クラウドファンディング【身体障害者がiOS機器をスイッチで操作できるアダプタを提供したい!】募集しています。
このクラウドファンディングでは、実際にiPhoneやiPadに搭載されているアクセシビリティ機能を利用している男の子(6歳)と、女の子(8歳)が紹介されています。
難病と闘いながら、iPhoneを利用したテレビリモコンを使いこなしている男の子
無線タイプのアダプタをつないでiPadのスイッチコントロール機能を使っている女の子。松尾氏(左)が開発しているアダプタの完成を心待ちにしている
iPhoneやiPadが障害を乗り越えるための手助けに
松尾氏は語ります。
「ご紹介したお子さんは二人とも、脊髄性筋萎縮症Ⅰ型(ウェルドニッヒホフマン病)という難病と闘っておられますが、頭脳は明晰で、スイッチが動かせれば何でもできます。男の子のほうは、私が以前開発した、iPhoneを使った障害者対応のテレビリモコンを使い始めましたが、現時点ではどうしても複数のアダプタが必要なため、ご家族は接続に苦労されているようですね」
一方、女の子のほうはすでに無線タイプのアダプタをつないで、iPadのスイッチコントロール機能を使っているといいます。
「彼女のお母様はこうした機器に詳しいので、設定などはご自身でできるのですが、お母様が不在のときに無線の接続が切れてしまったりすると、他の人では再設定ができないため、その間、iPadが使えず困っておられるそうです。それだけに、無線を使わなくても、1本のケーブルで確実に接続できるアダプタの完成を心待ちにしてくださっています。8月末までに目標額をクリアできたら、2024年11月を目標に商品化する予定です。このアダプタを切望しておられる障害者の方々のために、ぜひお力をお貸しいただければ幸いです」(松尾氏)
ITの絡んだ障害者用の機器は、特殊で使用法が難しく、使いこなせるのはごく一部の人に限定されがちでした。また、事故や病気などで突然、障害を負った方々の場合は、こうした機器の情報にさえなかなかたどり着けないのも現実です。
まずはユーザー自身が、iPhoneやiPadの中に「スイッチコントロール」というアクセシビリティ機能があることを知っておくこと。そして、こうした機能を障害のある子どもからお年寄りまでが簡単に、安定的に使えることを期待したいと思います。