鋭意取材中!! 柳原三佳・日本の検視・司法解剖の問題を斬る! |
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現在、取材を進めている、日本の検視・検案・司法解剖等の問題についての記事、および、国会でのやり取りをご紹介します。 また、「死因」の究明や「解剖のあり方」についての疑問やご意見、ご提言、情報 等ありましたら、柳原三佳までメールでお寄せください。お待ちしております。 ■ 2005年09月新刊発売 |
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「論座」(朝日新聞社) 2004年7月号 取材・文/柳原三佳 監察医が示した臓器片は別人のものだった。 日本の司法解剖は大丈夫か。 ある事件で監察医が行ったという司法解剖の事実がDNA鑑定により覆された。 日本の司法解剖は信用できるのだろうか。背景には人員や予算をはじめとするお寒い事情がある。 先進医療の技術を使って制度を刷新すべきだ。 |
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「保管の臓器片は別人。DNA鑑定で判明−監察医ら聴取へ 横浜地検…」。4月2日このニュースが新聞やテレビでいっせいに報じられたとき、私は「やっとここまできたか」と胸のすく思いがした。と同時に、「夫の遺体には解剖の痕跡はなかった」と訴え、警察組織を相手に7年にわたって闘い続けてきたAさんに思わず拍手を送りたくなった。 もちろん、これで事件が終結したわけではない。今回のDNA鑑定の結果が出た後も、有印虚偽公文書作成・同行使などの容疑で告発されている神奈川県嘱託の監察医の代理人弁護士は「司法解剖して死因を心筋梗塞と鑑定したのは間違いなく、その際、臓器を摘出して保存した。だが、提出までに時間がたち、多くの標本の中から取り違えた可能性も否定はできない」(朝日新聞2004年4月3日)と、苦しい言い訳を続けている。5月14日には、司法解剖に「立ち会った」という警察官が横浜地裁の証言台に立った。彼は、監察医が心臓を取り出し、手のひらに乗せてメスで切り込みを入れていくさまなどを2時間半にわたって証言した。 それにしても、警察に運ばれた死体は、そしてその臓器は、いったいどんな扱いを受けているのだろうか。 私自身が「検視」に対して漠然とした不信感を抱いたのは、保土ヶ谷事件と呼ばれるこの事件がきっかけだった。1997年7月、横浜市保土ヶ谷区の路上の自動車の中でAさんの夫が亡くなっていたこの事件は、遺体を解剖したか、しなかったか、という入り口の部分で論争になった。今回、横浜地検が重い腰を上げたことによって、これまで外からは窺い知ることのできなかった「検視」や「司法解剖」の実態が少しずつ明らかにされていくことだろう。はずは保土ヶ谷事件の経緯を振り返ってみたい。 |
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「病死」にされ自動車保険おりず |
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私がAさんから初めて連絡を受けたのは事件の翌月のことだった。 「警察が、事故車を放置した自分たちの過ちを隠すため、車の中で亡くなっていた夫の死因を『病死(心筋梗塞) 』に仕立て上げたのです。しかも、司法解剖を行ったと嘘までついて…。こんなことは絶対許されることではありません。あの夜、すぐに病院に運んでくれていれば、夫の命は助かったかもしれないのに」 Aさんはその後、交通事故鑑定の専門家に夫の車と現場の検証を依頼し、 「夫の死因は車の損傷などから見て、明らかに道路脇の電柱に激突した交通事故によるものだ」という確信を得た。そして、翌98年9月、死体検案書を作成した監察医を虚偽検案診断書作成容疑で、事件処理に当たった警察官らを保護責任者遺棄致死容疑で横浜地検に告訴したのだ。 97、98年といえば、神奈川県警による一連の不祥事が発覚する前である。地元警察と監察医を相手にしての訴えは、女性ひとり、よほどの覚悟がなければできなかったはずだ。 ところが横浜地検はAさんの訴えを退け、2000年2月「嫌疑不十分」でいずれも不起訴処分とした。 一方、Aさんは99年3月、夫の車の自動車保険を契約していた全労済(全国労働者共済生活協同組合連合会)に対して、自損事故保険金と搭乗者傷害保険金を請求する民事訴訟を起こした。「病死」にされると、自動車保険からは保険金が支払われない。しかし夫は「交通事故死」なのだから、保険金は支払われるべきだ、というのがその主張だ。「検察が警察組織を庇うのなら、自分たちで監察医や警察官を民事訴訟の法廷に呼び出し、真実を究明するしかない」。この裁判にはAさんら遺族のそんな強い意志が込められていたのだった。 |
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本人とわかる写真が一枚もない |
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2000年7月10日、東京地裁633号法廷。ついにその日がきた。 この日、証人として証言台に立ったのは、神奈川県で長年監察医を勤めているB医師だった。彼はAさんの夫の死体検案書に「心筋梗塞」という死因を書いた本人である。B医師は、原告代理人の質問に対して、次のような証言をした。 「私は警察官立ち会いのもと、運ばれてきた死体を解剖しました。Y字切開といって、胸部の一番上から下腹部までを切開する方法です。臓器を取り出し、肉眼で病理的観察を行い、心臓はそのときに取り出し、今も保管しています。その他の臓器は組織片を切り出してから元に戻して、縫い合わせました」 ところが、その後、裁判官に質問の時間を与えられた原告のAさんは、毅然とした態度でこう詰め寄ったのだ。 「いいえ。私はその夜、夫の遺体を見ましたが、おなかには解剖された痕跡は全くありませんでした。そのことは、息子を初めとする葬儀社の方など、複数の人が目撃しています」 その瞬間、なんともいえない緊張感が法廷の中に張り詰めた。 「警察官立ち会いで解剖した」 「心臓は今も保存している」 と証言する監察医が目の前にいるのに、遺族は 「遺体に傷はなかった」 と断言しているのだ。 遺族は当初、B医師から「頭部も解剖した」という言葉を聞いたと主張しているが、B医師はそれにつても「ちゃんと解剖した、とは言ったが、頭部を解剖したとは言っていない。解剖しなくても頭蓋骨内出血は完全に否定できたので、遺族感情も念頭に置き、なるべくもとの姿でお返ししたいと思った」と、証言台で全面否定した。そもそも頭部を解剖しなかったことは司法解剖の基本に照らして考え難いことである。 法廷では、さらにB医師の「解剖した」という主張を裏付ける証拠の有無についてやりとりが続いた。まず、解剖中の写真はあるのか。もし、一枚でもAさんの夫とわかる写真があれば、一目瞭然で遺族の主張は覆されるはずだ。しかし、B医師は「心臓そのものの写真は撮ったが、身体を写し込んだものは一枚も撮っていない」と答えた。 さらに、もうひとつの疑問点が浮かび上がった。B医師は午後7時40分から8時40分まで約一時間にわたって解剖を行ったと証言した。一方、Aさんは、午後7時ごろには夫の死因は「心筋梗塞」だったと聞かされ、午後8時20分には遺体が自宅に運ばれてきていたと証言する。 いったいどちらが本当なのか。ここまで両者の主張が食い違ってくると、事が事だけに、私は驚きを通り越して恐怖すら感じた。 しかし、立証の手段はまだ残されていた。それが冒頭のニュースとなったDNA鑑定である。保管されている心臓さえ証拠提出されれば、それがAさんの夫のものであるかどうかはっきりする。Aさんの代理人は法廷でこうたずねた。 「心臓を証拠としてだしていただくわけにはいかないのでしょうか」 B医師はこの質問に対して、さまざまな言い訳を述べ即答はしなかったが、最終的に 「検察からの指示によって法的な手続きがとられれば提出する準備はある」 と答えた。もし、解剖したのが事実なら、B医師から進んで提出すべき証拠だが、遺族から見れば、出せる心臓などないはずだった。 それでも、01年4月、「心臓」の一片が横浜地裁に提出された。腹部に全く傷のなかった遺体を見ている遺族にとっては、その時点で、臓器片が、「別人」のものであることはわかっていた。「臓器片は本人のDNA型と矛盾する」という今回の鑑定結果も予想通りであったのである。 それにしても、恐ろしい話だ。警察と監察医がスクラムを組めば、密室でどんな「死因」でもつくれることになる。実際に、B医師に百体近く検案を依頼したことがあるという元警察官は私にこう話してくれた。 「少なくとも私がB先生のところに運んだ死体で、解剖までいったケースは一度もありませんでした。ほとんど死体を見ないこともありましたね。先輩警察官は『死因や死亡推定時刻をこちらの言うとおりに書いてくれるので便利なんだ』とよく話していました。留置場の中で死人が出たときなどは、後が厄介ですから、実際の死亡時刻をずらしてもらうわけです。今回のケースはおそらく氷山の一角だと思います。」 実は、交通事故と自動車保険について長年取材してきた私の元には、家族を失った遺族から「検視の結果にどうしても納得できない」「なぜ司法解剖してもらえなかったのか」「事故死ではなく、誰かに殺されたのではないか」といった悲惨な声が多数寄せられている。かけがえのない家族の最期の「真実」に納得できず、苦しんでいる人がいかに多いことか。 99年に長男(当時16)を亡くした北海道案山子別町の木村富士子さん(46)は、「交通事故による頚椎骨折」という警察の検案結果に納得できず、遺体の写真を公開して、広く情報や意見を求めた。その結果、複数の専門家から死体検案書の記載に疑問の声があがったため、昨年、「被疑者不詳の傷害致死事件」として北海道警察本部に告訴。現在、釧路方面本部が再捜査している。 98年、愛知県瀬戸市で陶芸家の辻野規美さん(当時24)が死亡したケースでは、死体見分すら行われず、死亡原因や傷害部位の特定もされていなかった。愛知県警本部は今年4月、初動捜査の粗略さとずさんさを認め、遺族に対して正式に謝罪している。 |
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江戸時代へタイムスリップ |
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こうした実情を裏付ける法医学者の証言もある。千葉大学医学部法医学教室の岩瀬博太郎教授はこう言う。 「医師が専門家としての適切な判断能力を生かすことなく、よく言えば無難に、悪く言えば警察の言うとおりに検案書を書かされているケースは少なくないと推察されます。本来、死体検案では、医師は専門家として、きちんとした意見を警察に述べることが要求されているのですが、実際は、検査手段を与えられているわけではありません。たとえば、死亡原因が腹部を蹴られたことによるものの、外傷が見当たらないというケースが医学的にはありえるのですが、現場と関係者の供述などから『異常なし』と判断された場合、警察から医師に対して『犯罪性はありません』と伝えてきます。そうなると、医師はさまざまな検査や解剖を行いたいと思っても、できません。しかたなく正直に『死因不明』と死体検案書に記載すると、警察からクレームの電話がかかってきたりして、後の対応が大変になったりもします。その結果、心筋梗塞などの無難な診断名をつけざるを得ないことも多いのです。日本では、生きている間は先端医療を受けられますが、いざ心臓が止まると、江戸時代、明治時代へタイムスリップしてしまうんです」 岩瀬教授自身、過去に内科医として検案に立ち会った時、同様の体験をしたことがあるという。つまり、日本では警察が犯罪性がないと判断した死体は、たとえ医学的に死因不明で、その裏に犯罪や事故が隠れている場合でも、解剖されずに処理されてしまう可能性が高いということである。一方、保土ヶ谷事件のように、解剖の痕跡や客観的証拠がないにもかかわらず、解剖所見を出すという「奥の手」もあるとなれば、我々国民は何を信じてよいのかわからなくなる。 現在、日本の死者数は年間百万人弱。世界保健機関(WHO)の98年の調べによると、死者のうち解剖を施した割合を示す剖検率は、訪米諸国が20〜30%に達するのに対し、日本では3.9%にとどまっている。 欧米諸国では、死因不明の遺体を合理的な必要性に応じて解剖できるような体制が整っているのだ。また別の法医学者が語る。 「留置場の中で死亡した人を解剖しない国は、おそらく先進国では日本だけでしょう。たとえば、フィンランドは人口5百万人に対して法医学専攻の医師が約30人。解剖の基本ノルマは1人年間350体です。法医学者には秘書や検査技師がつき、さまざまな環境が整っているため、このような数の解剖ができるのです。私が日本の法医学会に身を置いて一番驚いたことは、この『業界』全体の前近代的性格です。警察権力を盾にここままの状態が続くのでしょうか」 日本は人口1億2千万人に対し、法医学専攻の医師は150人にすぎない。変死体の数は増える一方なのに、解剖は量的に頭打ちの状態になり、チェック機能もあいまいだ。 これには当然、解剖費用の負担の問題も大きく影響している。 日本では、病理解剖は病院が、司法解剖は国が、行政解剖は都道府県がそれぞれ負担する。警察法施行令には、国が司法解剖の検案・解剖の委託費と謝金を払うと書いてある。ところが、現在、司法解剖に支払われる金は一体につき7万円で、検査費としての公式な委託費は出ていないという。 岩瀬教授は言う。 「性格に死因を判定するには数十万円は必要です。7万円で解剖を行っていたら大赤字となります。事実、そのため、千葉大学の法医学担当医師は減員されてきました。こうした現実が解剖による死因確定が日本できちんと形成できなかった大きな要因です」 |
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実際にCTで検視・検案 |
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岩瀬教授らの研究室は今年1月、千葉県警と協力して、実際に自動車に搭載したCT(コンピューター断層撮影)で変死体を断層撮影して回る試みを行った。CTは医療ではおなじみの検査装置で、体を輪切りにした映像を撮影できる。コレまでの指定の内部をチェックし、死因の特定や解剖の必要性の判断に役立てようというのである。CTならば簡単で経済的なうえに、とあえず解剖に抵抗のある遺族の気持ちにも沿うだろう。この試みの研究結果は、札幌市内で今年6月11日に開かれる日本病理学会総会で発表される。 しかし、死体をCTで撮影することはまだ一般的ではない。 今年1月「オプトシー・イメージング(Ai)学会」(http://plaza.umin.ac.jp/~ai-ai/)の設立総会が放射線医学研究所(千葉市)で開かれた。Aiとは、解剖という検査を「死体から医学情報を引き出す検査」に発展させることにより、死体に対する画像検索を普及させようという、社会インフラ整備まで視野に入れた新しい概念なのである。 同学会発起人の一人、同研究所・重粒子医科学センター病院の江澤英史医長は、解剖前の死体に画像診断を行う意義についてこう語る。 「これまでは剖検(=解剖)により失われる遺体の全体性を客観的情報として保存する手段がありませんでした。また、剖検を施行するとすると、本来なら剖検検索していない部位は言及できないはずなのですが、あたかも全身くまなく検索されているかのような錯覚を生みます。Aiを施行すれば、遺体の全身情報を確実に保存でき、医療監視や司法解剖に対しても有効に機能する可能性も示しています。医学的観点から見ても社会的要請という観点から見ても、剖検の進化のために、Ai導入は合理的解決だと考えられます」 Aiは、もともと医療的な側面が強いものだというが、こうした考え方が日本医療の現場に浸透すれば、司法検視・解剖の世界も確実に変わるだろう。 岩瀬教授は語る。 「少なくともCTやMRI(磁気共鳴断層撮影)などの非破壊的な画像診断検査と尿や心臓血を用いた薬物スクリーニングを行い、解剖が本当に必要ないかどうかはっきりさせる必要があります。そもそも、頭を解剖せず、写真もないような解剖を司法解剖であると、捜査・司法当局が認定してしまっていいのでしょうか。国には、司法解剖や死体検案における解剖部位、検査項目、検査施設、人員配置の法制化、またはガイドラインの作成、そして十分な予算が求められます。」 |
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「週刊文春」(文藝春秋) 2004年6月17日号 取材・文/柳原三佳 千葉大学法医学教授が実名告発! <殺人天国「変死体の96%が解剖されていない!」> |
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「千葉県では年間六千体以上の変死体が発見されていますが、法医学の専門医師は県内に私を含め二名だけです。これでは一年間の司法解剖数は百八十体が精一杯。しかし、それ以外の死体は本当に何の疑いもなかったと言い切れるのでしょうか。この状況から見ても、日本では殺人などの凶悪犯罪や事故が構造的に見落されている可能性が大だといえるでしょう」 そう指摘するのは、千葉大学大学院法医学教室の岩瀬博太郎教授(36)。東大で法医学を専攻し昨年、千葉大学教授に就任。現在は、「解剖における画像検査の導入に関する研究」に取り組んでいる。 昨年、警察が取り扱った変死体は約十三万四千体。十年前と比べ、約五万体も増加している。ところがこのうち司法解剖が行われた遺体は、わずか五千四百体(四パーセント)。大半の遺体は法医学の専門家の目に触れる前に火葬されているのだ。 日本では、死因のわからない変死体が発見された場合、その死が犯罪に起因するものであるかどうかを判断するため、「検視」が行なわれる。「検視」は、一般には、検察官の代行で警察官がおこなっており、五官(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)の作用により、死体の状況を見分する。 警察官は医師に立会いを求め、死因や死亡時刻、異常の有無などについて意見を求め、犯罪性がない場合は「死体検案書」の作成を依頼。犯罪性が疑われる場合や死因に不明点が残る場合は、状況に応じて、司法解剖か行政解剖が行われる。 しかし岩瀬教授は、この"五官"に頼った「検視」の危険性について語る。 「本来、死体の検案では、医師は専門家としてきちんとした意見を警察に述べるべきなのですが、実際は警察にとっての手続き上、都合のいいように検案書を書かされている。 腹を蹴られて死んだ場合でも、腹部に外傷を残さない場合があります。頭蓋内出血なども本来はCTを撮るか、解剖しなければ判断できないのですが、現場で立ち会う医師は、なんの検査手段も、検査費用も与えられずに検案させられているのです」 外表に目立った傷のない死体で周囲に証言者のいない死体は、仮に犯罪や事故がからんでいても、この段階で見逃されてしまうということになる。 岩瀬教授自身も過去に他県で内科医として検案した時、同様の体験をしたことが何度もあるという。 「しかたなく『死因不明』と書くと、警察から電話がかかってきて、"これでは困る"などと言われてしまう。結局、もっとも問題のない『心筋梗塞』と書かざるを得ない。多くの医師が、きちんとした医学的検査もできずに、面倒な警察処理を要さない方向へ誘導され、検案書を書かされているのが実情だと思います」 事実、検視結果に納得できず、苦しみ続けている遺族は少なくない。北海道の木村富士子さん(46)は、位牌の裏に刻まれた日付に目をやりながらこう語る。 「息子の命日は、本当に十月二十二日だったのでしょうか。せめて司法解剖さえ行われていれば……」 長男(当時16)が遺体で発見されたのは、一九九九年十月二十五日。傍に壊れたバイクがあったことから、警察はバイクの単独事故と断定し、司法解剖は行なわれなかった。しかしその後、遺体の状況と死体検案書の記載に複数の専門家から疑問の声が上がり、いじめ疑惑などの問題点も浮上。 遺族は昨年、「被疑者不詳の傷害致死事件」として北海道警察本部に告訴し、事件発生から五年目に入った現在も、捜査中だ。 関東在住のAさんも、つい先日、同様の告訴状を提出した遺族の一人だ。 Aさんの弟は、二〇〇二年、河川敷で遺体となって発見された。警察は首にあざがあったことなどから「首吊り自殺による窒息死」と断定。司法解剖は行なわれなかった。しかし、自殺の理由に心当たりがなかった遺族は捜査の不備に納得できず、死後一年半たった今も現場での聞き込み等を続けているという。 「検視システム」に関する問題点はまだまだある。たとえば、死体検案に立ち会う医師への謝礼金も一体当たり三千円に過ぎない。その上、検査費用はゼロ。 別の法医学者はこう語る。 「留置場の中で死亡した人を解剖しない国は、おそらく先進国の中でも日本だけでしょう。たとえばフィンランドは、人口五百万人に対して法医学者が約三十人もいて(日本は一億二千万人で百五十人)、解剖の基本ノルマは一人年間三百五十体です。あちらの法医学者には秘書や検査技師などの様々な環境が整っているため、このような数の解剖ができるのでしょう。私が日本の法医学界にきて一番驚いたことは、この業界全体の前近代的性格です。警察権力を盾にこのままの状態が続くのでしょうか」 岩瀬教授は一月五〜九日、千葉大学と千葉県警と合同である実験を行なったが、結果をみて解剖の必要性をあらためて感じた。 その実験とは、変死体の見つかった現場へCTスキャン搭載車とともに駆けつけ、頭や腹胸部、首などを断層撮影。三十〜五十枚の映像を元に死因を調べるというもの。 「五日間で二十人の変死体を調べたところ、その内四人の死因が、警察官や警察医による検視結果と異なっていたのです。 熟練した監察医でも五感による検案だけでは正診率は5割と言われておりますから、私は千葉県警の検視は日本全国でトップレベルだと思います。しかしこの結果でわかることは、どんなに優秀でも、今の全国的な検視・検案方法では、少なくとも二割は構造的な間違いを犯すということです。他県の状況はもっと深刻ではないでしょうか。」 たとえば外表からの検視でくも膜下出血、もしくは脳内出血(病死)と診断されていた男性の場合、今回導入したCT撮影によって頭の内部に外傷による出血が見つかった。その後、自宅を調べなおすと、ストーブに新しい凹みが見つかり、そこに頭部をぶつけたことが明らかになったケースもあったという。 今回、千葉大学の研究室が検案を担当した警察医十三人にアンケートをとったところ、十一人が「外表所見による死因判断に不安がある」と回答。そのうち九人が「(外表所見のみでは)犯罪を見逃す可能性がある」と答えたという。 このままでは、多くの犯罪が見逃される可能性がある上、病死か事故死かの判断が変われば保険金の支払いにおいても大きな影響を及ぼしかねない。 だが警察庁に検視におけるCT検査の有用性についてたずねてみても、 「今後、検討が必要」 という漠然とした答が返ってくるだけだった。 岩瀬教授は六月十一日、札幌で行なわれる病理学会でCTによる検視・検案の実験結果を発表するという。 しかし、なんとか検視を経て、司法解剖にまで行き着いても、問題は山積。 日本では、病理解剖は「病院」が、行政解剖は「都道府県」が、司法解剖は「国」が、それぞれ費用を負担することになっているが、 「現在、国から支払われる司法解剖の謝金は一体につき文書作成料として七万円。検査委託費は全く支払われません。正確に死因を判定するためには、こんな金額ではとても足りません。千葉大では長いときで五時間、ときには八時間もかけて解剖していますが、真面目に解剖すればするほど大学は大赤字。はっきり言って、危機的状態です」 いったい国は「司法解剖」についていったいどの程度の予算を計上しているのか。国会議員を通して入手したデータによると、平成十五年度の予算額は以下のとおりだ。 検案謝金−−−−−−−−−11,748,000円(一体当たり 3,000円) 死体解剖謝金−−−−−−320,670,000円(一体当たり70,000円) 死体解剖外部委託検査料−−−5,900,000円(一体当たり20,000円) この数字を目の当たりにした岩瀬教授はこう語る。 「外部委託検査料の年間五百九十万円には驚きましたね。警察は一体当たり二万円で二百九十五体分だと説明しているそうですが、二万円で何が検査できるというのでしょう」 警察庁刑事局によると、死体解剖外部委託検査料とは、 「司法解剖後、鑑定書を作成するのに必要な薬物、毒物、細菌、ウイルスなどの検査を外部に委託するためのお金」 金額については、 「現時点では過去の実績に基づいてやっているので、総体としては適当なものと認識している」(刑事局) しかし、岩瀬教授はさらにこう反論する。 「民間企業に薬物スクリーニングを依頼すれば、最低でも二十万円はかかります。仮に二万円でできたとしても、二百九十五体分しか予算を取っていないのは大問題。残りの五千体以上は検査をしなくてよい、つまり、犯罪が見逃されてもよいということになります。 そもそも大学で行なう解剖検査の経費、組織標本の検査代、薬物検査代、臓器保管料、施設使用料などはこの予算のどこにも入っていない。警察は鑑定書作成料の七万円を支払うのみで、解剖経費はすべて大学法人の予算からの持ち出し。法令では、犯罪鑑識に必要な解剖委託費は警察が国庫から支弁するとされてますから、これでは詐欺と呼ばれても仕方がないでしょう」 岩瀬教授の試算によると、司法解剖に必要な費用は最低で一体あたり約二十万円、その他に薬物などの検査代が必要である。仮に年間解剖数を五千体とするなら、適正に運営するには年間二十億円程度は必要ということになる。アメリカでも一体当り二〜三千ドルというし、検察庁から解剖を依頼されている大学でも一体あたり約二十万円を受け取っている。 七万円のままでは、せっかく解剖しても薬物検査など十分な鑑定を行うことが出来ないのだ。 「たとえば青酸カリ、トリカブト、覚醒剤などが犯罪に使われていたとしても、今の司法解剖ではノーチェックですまされる危険が極めて高い。おそらく一人で二、三人くらい殺すまでは、事件が発覚しないでしょう」 過去の事件を振り返っても、薬物殺人は犯行が繰り返さえされた上で発覚しているケースが多い。 石垣島で新婚旅行中の妻が殺害された事件(トリカブト)は、二件目で発覚。解剖を担当した医師が気を回して血液を保管していたことが立件につながった。 和歌山の毒物カレー事件(ヒ素)、本庄の保険金殺人事件(トリカブト)、夫と次男を相次いで水死させた佐賀・長崎連続保険金殺人(睡眠薬)なども、一人目の検視時にいち早く薬物スクリーニングが行なわれていれば、複数の被害者を出さずにすんだ可能性が高いといえる。 「変死体取り扱いのシステムについての見直しは急務です。具体的には、司法解剖や死体検案における検査項目、検査施設、人員配置の法定化、またはガイドライン作成、そしてこれらを達成するための費用の納入と、その納入方法の法定化が早急に必要でしょう。 こうした問題は長年の国家レベルでの放置行政によって発生したものであり、お決まりの警察庁による各県警に対する問責や、警察官増員や教育強化などの付け焼刃な処置で済む問題では決してありません。死人に口無しで発覚してこなかっただけで、本質は、国家的放置行政に起因したハンセン病の問題となんら変わらない。このまま放置を続けると、国民が被害を受けることになりますし、実際に現在でも受けていると思います」(岩瀬教授) 法医解剖は、感染症、犯罪、事故・災害などの社会的脅威に起因する死をいち早く察知し、それらを社会から除去する契機を作る大切な分野である。 警察庁、法務省および政府が責任を持ってこの問題に対処することを望みたい。 |
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2004.9 公開 2006.09 更新 |