『捨てられないTシャツ』

〜 私に交通事故の記事を書くきっかけを与えた、ある友人との大切な思い出 〜


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ミリオン出版刊「アウトライダー」1994年9月号に掲載されたエッセイをご紹介します。

 毎年梅雨入りの声を聞くと、私は遅ればせながら夏物と冬物の入れ替えに取りかかる。一人分でも大変な作業なのに、夫のものとおまけに娘のぶんまで……。やれやれ、これも主婦の仕事だからしかたないかと、ため息をつきながら「よっこいしょ」と重い腰を上げる。

 一応、主婦としての名誉のためにつけ加えておくが、私はこれでも料理と洗濯は大好き。でも、片づけることと掃除だけ(?)は大の苦手なのだ。ちなみに、バイク雑誌の編集部時代は、仲間から「整理不順!」などと呼ばれ、私の机の周辺は、いつも編集長がせっせと片づけていた。椅子の後ろに無造作においてあった箱の中から、通販で取り寄せたブラジャーが飛び出して編集長を驚かせた話は、今も密かに語り継がれているらしい。

 さてさて、余計な話はさておき、今度は本当に作業開始。「今年こそ、着ない服は思い切って捨てるぞ!」という覚悟で、私は大きなゴミ袋を2〜3枚用意した。あまり黙々とやると、気が滅入りそうだったので、CDラジカセを取りに行く。何を聞こうかな……、と迷っているうちに、また10分ほどたってしまい、結局、NHKラジオを聞くことにした。

 我が家には2カ所ばかり「開かずのロッカー」がある。ひとつ目の扉の中には、1100刀のFRPカウルがド〜ンと占領し、二つ目の扉の中には、今まで着てきた革ツナギやライディングジャケットなどが吊るされている。よし、まずはここから整理していくことにしよう。

 それにしても、夫婦そろって長い年月ライダーをやっていると、ウエアも結構たまるものだ。開かずのロッカーには、去年と同じように、私の赤い革ツナギと夫のでっかい(牛3頭分使用)の革ツナギが、カビを生やしながらかなりの場所を占領していた。いったい、みんなはどうやって革ツナギを保管しているのだろう……。私は、まずツナギをハンガーに掛け、ウエストの部分を後ろに折り返し、そして膝の部分を肩に掛けている。ヨガでときどきこんな格好をする人もいるようだが、まあ、これが一番コンパクトにつるせる方法だと思う。

 数年前までは、ツーリングに行くときも、レーサー気分で、必ず革ツナギを着ていたものだ。でも、最近は本当に見かけなくなった。まあ、正直言って、私の場合はサイズが合わなくなってしまったのだけれど、やっぱり今年もこれを処分する気には慣れなかった。たとえカビが生えても、ファスナーが上がらなくても、この革ツナギには、カビの胞子の数にも負けないくらい、たくさんの思い出が染み込んでいるのだ。

「あ〜あ、このスペースをすっきりさせて、去年買ったコートを入れるつもりだったのに……」

 私は苦笑いしながら、また今年も開かずのロッカーをそのまま閉めることに。

 でも、押入ダンスに移ってからは、かなりのペースで作業が進んでいった。服を1枚1枚広げ、3年間一度も袖をとしていないものは、思い切ってポイッ!再利用できるものはもうひとつの袋に。綿のシャツは夫の機械いじりには欠かせないウエスになるし、かわいい花柄の服は、娘のお姫さまごっこ用。引き出しの中は、だんだんすっきりしていった。

「あっ……」

 次の引き出しに移って、1枚のよれよれになった白いTシャツを広げたとき、私は思わず手を止めた。『TOURING CLUB Position(ツーリングクラブ・ポジション)』という赤いロゴがプリントされたそれは、私たちが作ったツーリングクラブのTシャツだった。

 「t」という文字をはさんで向き合う二つの「i」。『Position』というアルファベットの中で、その二つの「i」は、左が男、右が女をイメージしてデザインされ、実にスマートにまとまっていた。

 このロゴを作ったのは、「トンちゃん」という愛称で呼ばれていた青年。VF400に乗る、色白でハンサムで、穏和なグラフィック・デザイナーだった。

『ツーリングクラブを作ります。一緒に走りませんか?』

 そんな呼びかけをバイク雑誌で見つけて一番に連絡をくれた人、それがトンちゃんだった。彼の本名は、東洋一(ひがしよういち)。自己紹介の時は、いつも「とうよういちです!」と笑わせてくれた。

 数カ月の間にクラブ員は増え、私たちは毎月のように、ミーティングを開いたりツーリングをして楽しんだ。

 ニューモデル、特にレーサーレプリカが次々と発表され始めた頃で、、バイク界は今に比べてずいぶん活気があったような気がする。私はといえば、スズキが出した日本初の250cc水冷4気筒のGS250FWというバイクに集合管をつけて、人目もはばからずブイブイいわせていたっけ。みんなが集まると、まるでバイクの品評会のようだった。

 真冬の柳生海道、春の月ヶ瀬、真夏の三方五湖……、とにかく気のあったバイク仲間と一緒にいることが楽しかった。

 仕事柄、会報や名簿づくりは私の担当、デザインやイラスト関係はトンちゃんの担当。アッという間にお揃いのTシャツやステッカーも仕上がって……。

 それなのに、クラブが結成されて2度目の夏、トンちゃんは突然死んでしまった。ツーリングの朝、集合場所へと向かう途中で単独事故を起こし、ガードレールに激突したのだ。

 23歳だった−−−。

 あの夏から今年で8年。真っ白だったTシャツは型がくずれ、生地も痛みが目立ち、ところどころに黄色いシミが浮かび上がってきた。

 でも……、

「ミカちゃん、できたよ!」

 ちょっとはにかみながら、まだインクの匂いが残るこのTシャツを手渡してくれたときの、トンちゃんのあの嬉しそうな笑顔。そして、ツーリングに行くときは、いつも革ツナギの下にこのお気に入りのTシャツを着ていた私たち。

 彼はもういないけれど、このTシャツの周りには、そんな楽しい時間が確実に存在していたのだ。

 ふと気づくと、ラジオから流れていた『私の本棚』という朗読番組が終わっていた。

 私は一度広げたそのTシャツをもう一度ていねいにたたみ、引き出しの一番奥にそっと戻した。

「きっと、衣替えをするたびに、これをくり返すんだろうな……」

 そんなことを思いながら。

●ひとこと……

 このエッセイに出てくる東君は単独事故で亡くなりました。実は、奇しくもその2週間後におこなわれた彼の追悼ツーリング中に、今度は吉田君という同じクラブの仲間が亡くなったのです……。私は、二人の友人を失ったあの夏から、ずっとある疑問を持ち続けてきました。「本当に単独事故だったの?」「何かを避けたかったんじゃないの?」「直前にいったい何があったの?」もちろん、その答えは永久に帰ってはきませんが、その問いかけは、いつのまにか現在の取材活動のテーマになりました。もちろん、このTシャツは、今もタンスの中に大切にしまってあります。私にとって、それは、交通事故の仕事の原点のような気がするのです。


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